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Uボート内に散った日本人技術者

――庄司元三海軍技術中佐の最期 早坂隆の鎮魂の旅
早坂隆

 六月末に神戸から「靖国丸」に乗船して出国した庄司は、八月初旬にイタリアに着いたが、その翌月にはドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発。庄司と妻・和子は、頻繁に手紙を書いてお互いの近況を伝え合った。だが、それから間もなくして、烈しく逆巻く怒濤のような欧州情勢よりも、庄司の心を千々に裂く厄事が起きた。

 それは長男・元彦が不慮の疾病により急逝したという悲報であった。腸重積に罹り、腹膜炎を起こしたのが死因だったという。

 庄司の同僚が後に語ったところによると、愛児の急逝を告げる便りに接した庄司は、床を転げ回って哀しみ、狂ってしまうのではないかと思われるほど、深く咽び嘆いたという。

 遠い異境にあり、葬儀にさえ出席できない庄司は、残酷な驟雨に半ば茫然となりながらも、「元彦が此の世に為すべきであったことを、彼の代わりに果たしてやろう」と自らを督励するのであった。

 庄司はイタリアのカプロニ・カンピーニ航空会社の開発したジェットエンジンの研究に全力を傾けた。庄司はジェット機関係の設計図など、多くの資料を蒐集することに成功した。

 もう一つ、庄司が注目した技術の一つがロケット兵器である。庄司は寝る間も惜しんで、更なる研究に熱意をもって潜心した。

 当初の駐在予定であった三年間は忽ち過ぎたが、逼迫する国際情勢の中で、庄司の帰国は延期が重なった。日本との手紙のやりとりも途絶えがちとなり、銃後の家族は不安を募らせた。

 そして、昭和二十年一月に漸く帰国命令。米軍の本土空襲が激化するだろうという危惧の中で、日本軍は早急にジェット機を実戦に導入する必要性に迫られていた。

 こうして庄司は、U234号に乗艦することとなったのである。

艦内での生活

 キール軍港を出航したU234号は、ノルウェー南端に位置するクリスチャンサンという港町に投錨し、機器の補修を受けた。U234号はノルウェー沿岸を北上中、僚艦と水中で接触事故を起こしていたのであった。

 約二週間の修理を終えて、U234号は四月十六日に同港を出発。密使たちは、再び翳り多き閉塞の日々へと戻った。

 クリスチャンサン港からは、新たな便乗者もあった。独空軍大将のウルリッヒ・ケスラーである。ケスラーが訪日する表向きの理由は、日独間の技術情報の交換であったが、実は彼はヒットラー暗殺計画に協力したかどで、秘密国家警察(ゲシュタポ)に狙われており、その目から逃れるための離独というのがその真相であった。

 ドイツ軍にとってヨーロッパの海域はすでに危険水域となっていたが、潜水艦での航行は宿命的に一つのジレンマから逃れることができない。つまり、敵からの攻撃を回避するためには潜航を続ける方が良いが、これだと速度が上がらない。浮上して海面を走れば距離は稼げるが、敵に所在を悟られやすくなる。

 U234号は潜航と浮上を繰り返しながら、ノルウェー西岸を北上した。本来ならドーバー海峡を抜ける航路が最短ルートであるが、連合国側がこの海域の哨戒密度を濃くしていることは明らかであった。このため、U234号は大きく迂回した航路を取らざるをえなかった。

 平均すると一日に約六〇#浬#かいり#(約一〇八キロメートル)ほど進んだ。敵の電波探信儀の捕捉を避けるため、潜航時間を長めにとったが、潜航中は艦内の空気が徐々に汚濁していく。空気中の酸素量の低下と炭酸ガスの増加は、乗組員たちに激しい頭痛や吐き気をもたらした。U234号にはドイツ海軍が開発した最新式の排気・通風装置が装備されており、これにより長期の潜航が可能であったが、それでも潜航中の空気の汚濁は避け切れなかった。乗員たちの身体の限界を見定めながら、艦は時に海面まで素早く浮上し、迅速に換気を行った。
 潜航中の潜水艦は、無音航行を行う。艦が使用するすべての機器は、限りなく無音に近い状態が目指される。さらに、乗組員同士の会話や足音にまで細心の注意が払われた。無用な音を発することは、イギリス海軍が誇る最新の水中探知機に感知されることを意味し、それは艦が爆雷攻撃を受ける危険性に直結した。

 途中、機器の故障にもたびたび見舞われた。少しの不具合が、航海の命運を左右する重大な事態に発展することもある。乗組員たちは総力を傾けて修理を施した。

 艦の総員は、庄司らを含めて七二名である。

 空間の利用を極限まで計算されている潜水艦の内部では、乗組員たちは基本的に相部屋である。日本人二人もドイツ人たちと起臥を共にした。艦内生活においてベッドは二人に一台しか割り当てられないが、これは任務が交代制で、非番の者のみが睡眠を取るというサイクルが徹底されているためである。ベッドは狭く、充分に四肢を伸ばすこともできない。潜航が続けば、時の流れに関する感覚がひどく曖昧となり、黎明や黄昏どころか、昼夜の別自体も分からなくなる。

 二人にあてがわれたのは、弾薬庫と蓄電池室の間にある士官室であった。ドイツ人たちはその場所を「英雄の穴蔵」「勇士の地下酒場」などと形容していた。節電のため艦内はいつも薄暗かった。暖房装置はなく、艦内の温度は零下にまで下がった。

 二人の日本人は不平を漏らすことなく、それどころか自ら率先して艦内勤務を手伝った。二人は海水を真水に換える装置の操作や、水中聴音器の担当となった。他の乗組員たちと同じく、二人もUボート専用の灰色の作業衣を着用して生活した。

 庄司と友永は、程なくドイツ人乗組員たちと心を通わせるようになった。敵からの攻撃の恐れが低い束の間の時間には、一緒にチェスや腕相撲をして時を過ごし、ひとときの精神の安らぎを得た。円の如く閉ざされた艦内には、独特の一体感が生まれていた。

 U234号はノルウェー西岸から西方へと針路を転じ、いよいよ大西洋へと突入する。大西洋を南下し、アフリカ大陸最南端の喜望峰を回って、インド洋を東進し、日本へと向かう予定であった。

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