大震災で弱体化した日本に中露韓は容赦なく牙をむく

佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

交渉に有利に作用する亜民族の複合アイデンティティー

 外交官の頃、上司から「君は交渉が上手だ」ということをよく言われた。仕事で付き合ったロシア人やイスラエル人たちからも「佐藤さんは、交渉術を身につけていますね。他の日本人と話をしているときと違う感じがするのです。知らず知らずのうちにあなたのペースに乗せられてしまう」と言われることがときどきあった。筆者はそう言われると「あなたは他の日本人と比較して狡い」と言われているような気がして嫌な気分になった。

 この問題に関して解明するヒントを与えてくれたのがロシア民族学・人類学研究所コーカサス部長のセルゲイ・アルチューノフ先生(ロシア科学アカデミー準会員)だ。アルチューノフ先生は、アルメニア系ロシア人で、ロシア語、日本語、英語、ドイツ語、フランス語、グルジア語、アルメニア語などで講演を行うことができる。理解する言語は四〇を超え、その中にはアイヌ語も含まれる。日本研究で学者生活を始めたが、その後、北極圏の少数民族、インドの少数民族、世界の食文化、言語哲学、民族理論などの領域で多くの業績を収め、四〇年くらい前からコーカサスの少数民族研究をライフワークにしている。ロシア科学アカデミーの「歩く百科事典」と呼ばれている人だ。交渉術について、筆者は第一次チェチェン紛争が勃発した一ヵ月後の一九九五年一月にアルチューノフ先生とこんなやりとりをしたことがある。

アルチューノフ「佐藤さんはコミュニケーションの手法が他の日本人と異なります。これは外交官として交渉をするときに有利です。佐藤さんの御両親はどこの出身ですか」

佐藤「父は東京ですが、母は沖縄です」

アルチューノフ「それでわかりました。沖縄人の血が流れているから、佐藤さんには平均的日本人と異なるコミュニケーション能力があるのです。沖縄人はナロードノスチ(亜民族)ですから、沖縄系日本人はどうしても複合アイデンティティーを持つようになります。私は父がアルメニア人、母がロシア人です。子どもの頃から複合アイデンティティーを持っていました。しかもロシアでもアルメニアでもないグルジアのトビリシで育ちました。それだからグルジア人の考え方もわかる。近隣のチェチェン人やイングーシ人、あるいはアゼルバイジャン人やレズギン人の発想も私は皮膚感覚でわかります。複合アイデンティティーを持つ人は、相手の立場になって考えることができます。これは交渉に有利に作用します」
 ここで亜民族(ナロードノスチ、народность)という言葉について説明しておきたい。国民国家の主体となる民族という概念は近代以降の産物である。米国の政治学者ベネディクト・アンダーソンが指摘するように民族(ネーション、Nation)は「想像の政治的共同体」である。しかし、政治エリートが任意に民族を創り出すことはできない。民族が成立するためには、何らかの共同体意識(そこでは共通の言語を用いることが大きな意味を持つ)が存在しなくてはならない。亜民族の場合、近隣の大民族に基本的に同化しているが、完全には同化できない。政治的、経済的状況の変化によって、亜民族は民族に発展する可能性をはらんでいる。

 アルチューノフ先生と筆者の間でこんなやりとりが続いた。

佐藤「アルチューノフ先生は、チェチェン紛争解決に関しても、チェチェン人の内在的論理を踏まえた上で不介入主義を取るべきだと主張しておられますよね」

アルチューノフ「そうです。チェチェンは部族社会で、長老たちの満場一致で重要事項が決定される。歴史的にあそこには王がいません。ただし、外敵の脅威があるときにだけ征夷大将軍が設けられる。ドゥダーエフ(チェチェン独立派共和国大統領)は、ロシアの脅威に対する征夷大将軍の地位にあるのです。ロシアが軍事行動をやめ、チェチェン共和国の領域内においてはチェチェン人の自治に委ねるという方針を取れば、ドゥダーエフは失脚します。逆に圧力を加えれば、チェチェンには日本の武士道とよく似た伝統があるので、命を懸けて徹底的に戦います。力でチェチェンをねじ伏せることはできない。チェチェン問題について理解するためには、沖縄戦のときの日本軍による沖縄住民殺害に関する、日本人と沖縄人の認識の差について考えることです。佐藤さんは、複合アイデンティティーを持っているので、日本人、沖縄人の立場からこの問題について想像することができますね」

佐藤「想像できます。特に私の母の出身地である久米島で、日本海軍陸戦隊による住民虐殺が起きています。子どもの頃から母にその話を聞いているので、それが私の思考に影響を与えていることは間違いありません」

アルチューノフ「同時に佐藤さんは外交官だから、当時の日本政府や軍の立場を追体験することもできるでしょう」

佐藤「できます」

アルチューノフ「その二つの立場は交わりますか」

佐藤「恐らく交わらないと思います」

アルチューノフ「それと同じように多くの民族紛争で、対立する双方の立場は交わらないのです。そういうときは無理に問題を解決しようとせずに棲み分けることが重要です」

佐藤「棲み分け?」

アルチューノフ「そうです。少数民族や亜民族は、自らの故郷では他の民族よりもほんの少しだけ優遇される制度を作ることです。それがソ連体制の民族共和国、自治共和国、自治州、自治管区の基本的発想です。この発想は間違っていない。エリツィン政権はロシア全域に市民社会を作ろうとしている。平等な市民というのは大民族の発想です。エリツィン大統領やチェルノムイルジン首相、コズィレフ外相には少数民族や亜民族の複雑な感情が皮膚感覚としてわからない。それだからチェチェン問題が袋小路に陥っているのです」

 このときに筆者が持つ日本人と沖縄人の複合アイデンティティーを交渉術に生かすことができるということを自覚した。アルチューノフ先生とこのやりとりをした一九九五年時点で、それから一五年後の二〇一〇年に米海兵隊普天間飛行場の移設問題をめぐって、日本政府と沖縄の間で深刻な軋轢が生じ、内閣が崩壊するような事態に至ると筆者は夢にも思っていなかった。

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