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大震災で弱体化した日本に中露韓は容赦なく牙をむく

佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

 普天間問題に関して、日本政府が辺野古移設を強行しようと試みると、沖縄のマグマが爆発する。これは本質において反基地闘争や反米闘争ではない。日本の陸上面積の〇・六パーセントを占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍基地の七四パーセントが所在するという不平等な状況に対する異議申し立てだ。不平等な状況が是正されないのは、東京の中央政府が沖縄を(意図的もしくは無意識のうちに)差別しているからだというのが沖縄人の認識だ。

 さらに沖縄の民意が米海兵隊普天間飛行場の沖縄県内への移設に反対しているにもかかわらず、東京の中央政府が二〇一〇年五月二十八日に辺野古崎周辺への移設を決定したことが「沖縄には民主主義が適用されない」という意味を持つ。そのような閣議決定が可能になったこと自体が、日本政府による沖縄に対する構造的差別であるというのが沖縄人の認識なのだ。

 東京の政治エリート(国会議員、官僚)は、沖縄を差別しているという認識を持っていない。しかし、差別が構造化している場合、差別をしている側は、それを認識していないというのが通例だ。

 一九八〇年代末に、沿バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)が、ソ連による差別政策を是正するために歴史の見直しや、民族語の公用語化、ソ連軍の沿バルト地域からの撤退を要求した。ソ連の共産党と政府の官僚には、少数民族に対する差別を行っているという意識がなかった。当初、沿バルト三国の主張に耳を傾け、融和策を取っていたゴルバチョフ・ソ連大統領(本稿における肩書きは出来事が起きた時点のものとする)も一九九一年一月にリトアニアとラトビアに武力介入を行い、その結果、沿バルト三国はソ連からの離脱を加速させた。そして最終的にはソ連国家が崩壊してしまったのである。

 三月十一日の東日本大震災後、沖縄人と日本人の自己意識の差異がかつてなく大きくなっている。震災復興と福島第一原発事故の処理で手一杯の菅直人政権には沖縄にまで目配りをする余裕はない。その間に沖縄人は亜民族としての意識を強めている。辺野古であれ、嘉手納統合であれ、近未来に普天間飛行場の沖縄県内移設に日本政府が具体的に着手すると、沖縄の亜民族意識(いわゆる沖縄のマグマ)が爆発する。そして亜民族意識は、民族意識に変貌する。そうなると沖縄の分離独立が現実的可能性を帯びる。その場合、歴史的記憶(中国が沖縄を占領したことはない)と地政学的要因が結びつき、沖縄は無意識のうちに中国に引き寄せられていく。東京の政治エリート、米国は、亜民族としての沖縄人が持つ政治的潜在力を過小評価しているように筆者には思える。もっともモスクワの政治エリートも、一九九一年一月のソ連当局による武力介入後、リトアニア人、ラトビア人、エストニア人がソ連から分離独立の運動を目に見える形で展開する以前は、沿バルト三国がほんとうに独立するとは思っていなかった。沖縄も黄信号が灯っていると筆者は見ている。

もっとも交渉術を要するのは譲歩して折り合いをつける場合

 そこで第三の譲歩して折り合いをつける交渉が重要になる。まずこちら側にとって、死活的に重要な事柄を獲得目標とする。それ以外については、大胆な妥協を覚悟する。交渉術がもっとも必要とされるのは、このような折り合いをつける交渉においてだ。

 普天間問題に関して、日本政府が設定しなくてはならない目標は、日本の国家統合の維持である。要するに沖縄が日本から分離しないようにすることを第一義的に考え、交渉戦略を組み立てなくてはならない。同時に、現下の日本政府に米国との関係で辺野古移設の日米合意を撤回し、新たな合意を早期に取り付ける力はない。この現実を踏まえた上で交渉戦術を構築しなくてはならない。

 まず沖縄の民意に反する普天間飛行場の移設を東京の中央政府が行うことはないという民主主義の原則を鮮明にする。次に沖縄振興策と基地問題を一切リンケージしないという方針を明確にする。この方針は、前原誠司前外相の政治的尽力によって、日本政府の政策になりつつある。

 そして普天間飛行場の移設問題に関しては、沖縄の現状に鑑みた場合、二〇一四年までの時限性も辺野古崎周辺という方向性も非現実的であるという認識を外交ルートを通じて日本政府から米国政府に伝える。その上で、あらたな解決策について模索しないと、普天間問題が沖縄のすべての米軍基地に波及し、日米安保体制を弱体化させるという現実を冷徹に見据え、日米交渉を行う。

 日本政府が、長年の間に構造化された差別を脱構築するために誠実に対応しているという認識を沖縄人が抱くようになれば、状況は劇的に変化する。さらに中国が航空母艦を保持し、海洋においても帝国主義政策を展開するようになった場合、沖縄にどのような影響が及ぶかということについて、シミュレーションを行い、その情報を沖縄に提供する。それと同時に政府高官が頻繁に沖縄を訪れ、沖縄エリートとの人間的信頼関係を強化する。まず、日本と沖縄の間に不信の構造があることを冷静に認識する。その上で「不信から信頼へ」、「信頼から合意へ」、「合意から実行へ」という三段階の交渉戦略を構築すれば、普天間問題の軟着陸は可能と筆者は考える。

 交渉術とはこのように具体的現実に即して考える考現学なのである。ここで普天間問題に即して述べた「うわべだけの交渉」「力による交渉」「折り合いをつける交渉」という三つのカテゴリーは、外交交渉だけでなく、商談や離婚交渉などにも応用できる。もっとも現実の交渉は、この三つのカテゴリーのすべてを含みながら進んでいく。

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