大震災で弱体化した日本に中露韓は容赦なく牙をむく

佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

沖縄人は「恩を忘れ易い」

 二〇一〇年五月二十八日に米海兵隊普天間飛行場を辺野古崎周辺に移設する日米合意がなされ、その内容は閣議決定された。しかし、その実現の目処は立っていない。二〇一一年五月十七日付『読売新聞』(電子版)はこう報じた。

〈2014年までの普天間移設「厳しい」と防衛相
 北沢防衛相は17日の参院外交防衛委員会で、沖縄県の米軍普天間飛行場を2014年までに移設すると明記した06年5月の日米合意について、「14年は目の先だ。沖縄との調整が長引いており、(代替施設の)完成はなかなか厳しい」と述べ、実現は難しいとの認識を強調した。
 米上院議員らが先に提案した同県内にある米軍嘉手納基地への統合については「嘉手納基地が担うアジア太平洋の安全保障(を守る観点)上、極めて勢力をそぐ形になってよろしくない」と否定的な考えを示した。〉

 日米合意は、二〇一四年までにという時限性と辺野古崎周辺という方向性に関する合意からなる。今後、沖縄は「時限性で譲歩したのだから、方向性でも譲歩できるはずだ」という理屈で、辺野古移設の見直しを迫ってくる。仲井真弘多沖縄県知事をはじめとする沖縄の政治エリートは日本人と沖縄人の複合アイデンティティーを持っている。それだから、他者の内在的論理をとらえることができる。それが交渉術に無意識のうちに応用されているのだ。真理は具体的である。現在の普天間問題をめぐり東京の中央政府と沖縄の間で展開されている紛争の考現学を通じて、日本の交渉術の水準を向上させることができると筆者は考える。

 ここで沖縄学の父と呼ばれる伊波普猷(一八七六〜一九四七)の「沖縄人の最大欠点」というエッセイを引用しておく。筆者の理解では、このエッセイに交渉術の極意がある。

〈「沖縄人の最大欠点」
 沖縄人の最大欠点は人種が違うということでもない。言語が違うという事でもない。風俗が違うという事でもない。習慣が違うということでもない。沖縄人の最大欠点は恩を忘れ易いという事である。沖縄人はとかく恩を忘れ易い人民だという評を耳にする事があるが、これはどうしても弁解し切れない大事実だと思う。自分も時々こういう傾向を持っている事を自覚して慚愧に堪えない事がある。思うにこれは数百年来の境遇が然らしめたのであろう。沖縄に於ては古来主権者の更迭が頻繁であったために、生存せんがためには一日も早く旧主人の恩を忘れて新主人の徳を頌するのが気がきいているという事になったのである。加之、久しく日支両帝国の間に介在していたので、自然二股膏薬主義を取らなければならないようになったのである。「上り日ど拝みゆる、下り日や拝まぬ」(引用者註*「昇る太陽は拝むが、沈む太陽は拝まない」という意味)という沖縄の俚諺は能くこの辺の消息をもたらしている。実に沖縄人に取っては沖縄で何人が君臨しても、支那で何人が君臨しても、かまわなかったのである。明、清の代り目に当って支那に使した沖縄の使節の如き、清帝と明帝とに奉る二通りの上表文を持参して行ったとの事である。不断でも支那に行く沖縄の使節は琉球国王の印を捺した白紙を用意していて、いざ鎌倉という時にどちらにも融通のきくようにしたとの事である。この印を捺した白紙の事を「空道」といい伝えている。これをきいてある人は君はどこからそういう史料を探してきたか、何か記録にでも書いてあるのかと揚足を取るかも知れぬ。しかし記録に載せるのも物にこそよれ、沖縄人如何に愚なりといえども、こういう一国の運命にも関するような政治上の秘密を記録などに遺しておくような事はしない。これは古来琉球政府の記録や上表文などを書いていた久米村人間で秘密に話されていた事である。私は同じ事を知花朝章氏から聞いたことがある。とにかく、昔の沖縄の立場としてはこういう事はありそうな事である。「食を与ふる者は我が主也」という俚諺もこういう所から来たのであろう。沖縄人は生存せんがためには、いやいやながら娼妓主義を奉じなければならなかったのである。実にこういう存在こそは悲惨なる存在というべきものであろう。この御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる。これはた沖縄人の欠点中の最大なるものではあるまいか。世にこういう種類の人ほど恐しい者はない、彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない。沖縄の近代史に赤穂義士的の記事の一頁だに見えない理由もこれで能くわかる。しかしこれは沖縄人のみの罪でもないという事を知らなければならぬ。とにかく現代に於ては沖縄人にして第一この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々つまらない者である。然らばこの大欠点を如何にして補ったらよかろうか。これ沖縄教育家の研究すべき大問題である。しかしさしあたり必要なる事は人格の高い教育家に沖縄の青年を感化させる事である。陽に忠君愛国を説いて陰に私利を営むような教育家はかえって沖縄人のこの最大欠点を増長させるばかりである。自分は当局者がこの辺の事情を十二分に研究せられんことを切望する。
 (明治四十二年二月十一日稿『沖縄新聞』所載、『琉球古今記』所収「空道について」参照)〉
(伊波普猷[外間守善校訂]『古琉球』岩波文庫、二〇〇〇年、八八〜九〇頁)

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