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大震災で弱体化した日本に中露韓は容赦なく牙をむく

佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

日本と中国にはさまれた沖縄の生きる知恵

 伊波がここで述べた「空道」について、元沖縄県知事の大田昌秀氏は筆者に「伊波先生の空道の話は事実じゃない。仲原善忠先生(一八九〇〜一九六四、沖縄学者)の家を訪ねたときに、薩摩から空道を持っていけと指示されていたと文献を見せられた」と述べた。もっともここで空道が琉球王府の自発性に基づくか、薩摩の圧力で余儀なくされたかは本質的問題ではない。空道を用いることに倫理的問題を感じない沖縄のプラグマティズムが交渉の可能性を広げたという事実だ。

 伊波は那覇西村の士族出身で、京都の第三高等学校を経て東京帝国大学文学部で言語学を専攻した沖縄の超エリートである。当然、日本への過剰なまでの同化意識を持っている。もっともこのような強烈な同化意識は、国民国家形成過程の辺境地域において起きやすい。交渉術の観点から重要なのは、伊波の同化への呼びかけではなく、日本と中国の二つの大国にはさまれた沖縄の生きるための知恵なのである。軍事力においても経済力においても沖縄は日本と中国に対抗することができない。それだから交渉によって生き残りを追求したのである。

 当然、交渉術が発展する。まず「上り日ど拝みゆる、下り日や拝まぬ」という、どこに権力の実態があるかを把握する現実主義的感覚が研ぎ澄まされる。沖縄人は自らの生き残りを最重要目的として交渉を展開する。義理や人情にこだわっていて、沖縄人という集団が生き残れなくなる場合は、義理や人情を切り捨てる。それが外部から見ると「沖縄人はとかく恩を忘れ易い」と映る。恩を忘れたわけではないが、過去の恩にこだわっていると沖縄人という亜民族が維持できなくなるので、生き残りのための現実的選択をせざるを得なくなるのである。

 伊波は、「自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない」と沖縄人を痛烈に批判するが、同時に「これは沖縄人のみの罪でもないという事を知らなければならぬ」と沖縄人の同化教育に従事する日本人エリートの見識と人間的魅力に限界があることを指摘している。友も師も国も売って沖縄人が守ろうとしている「何か」がある。その「何か」とは沖縄という「われわれの共同体」なのである。祖父母、父母から継承した沖縄を、維持し、子孫に伝えていくことが、沖縄人の責務であると沖縄人は無意識のうちに考えているのである。

 ここで「なぜそうしなくてはならないのか」という設問は意味を持たない。「そうなっているからそうするのだ」という回答しか得られないからだ。もっとも「神とはなにか」「愛とはなにか」「なぜ人を殺してはいけないのか」などの根源的問題については「そうなっているからそうなのだ」という同語反復(トートロジー)で答えるしかないのだと筆者は考える。

普天間をめぐる東京と沖縄の交渉術、三類型

 普天間問題をめぐる東京の中央政府と沖縄の交渉術を類型化すると三つに分かれる。

 第一は、うわべだけの交渉だ。交渉のための交渉と言ってもよい。実際に交渉を通じて合意がなされるとは、交渉当事者も第三者も思っていない。しかし、真面目に問題解決に取り組んでいるという姿勢を示す必要がそれぞれの側にあるので、うわべだけの交渉を続けるのである。外交の世界でもこういう交渉はよくある。東西冷戦期の北方領土交渉だ。

 日本は、四島即時一括返還を主張した。もちろん日本政府は、いくら激しい主張をしてもソ連が北方領土返還に応じる可能性が皆無であることはわかっていた。北方領土問題で日ソ間が緊張していれば、日本国内でソ連との関係を改善しようとする草の根の動きは起きにくい。その結果、共産主義が日本に与える影響を極小化することができる。したがって北方領土をめぐるうわべだけの交渉にも意味があった。

 ソ連は日本の領土要求をはねのけることによって、フィンランド、ポーランド、ドイツなどから戦争によって獲得した領土に対する要求を認める可能性はまったくないという国家意思を示す効果があった。それだから北方領土をめぐるうわべだけの交渉はソ連にとっても意味があった。

 第二は、力による交渉である。対等の交渉の体裁を取るが、最後は力で押し切るという姿勢だ。普天間問題に関しても、外務官僚、防衛官僚の本音は「いつまでも沖縄のわがままに耳を傾けていても埒があかないので、力で押し切るべきだ」ということと筆者は見ている。二〇一一年五月四日付『朝日新聞』朝刊は、ウィキリークス(WL)から提供された日米関係に関する二〇〇九年に作成された米国国務省公電を分析し、こう報じている。

〈官僚らを特に懸念させたのは普天間問題だった。
 同年10月12日、国務、国防総省双方の当局者を率いて訪日したキャンベル次官補らが、長島防衛政務官らも交えた普天間問題での協議に臨んだ。
 その直後、長島氏のいない非公式な昼食の席で、高見沢将林・防衛政策局長が「米政府は、民主党政権に受け入れられるように再編パッケージに調整を加えていく過程で、あまり早期に柔軟さを見せるべきではない」と助言した、と公電は記している。
 中堅幹部の間では、そうした物言いはもっとあからさまだった。
 在日大使館の政務担当者が同年12月10日に、日本政府の国連代表部で政務担当を務める参事官ら3人の外務官僚と会った際の会話を記した同月16日付の公電がある。この記述によると、外務官僚らは「鳩山政権の普天間移設問題での対応と政治利用」への不満を述べ、「米政府は普天間移設問題では民主党政権に対して過度に妥協的であるべきではなく、合意済みのロードマップについて譲歩する意思があると誤解される危険を冒すべきでもない」と強調したという。〉

 こういう力による交渉は、ソ連外交の特徴だ。一九六八年八月二十日深夜にソ連軍を中心とするワルシャワ条約五ヵ国軍が当時チェコスロバキアで進められていた「プラハの春」と呼ばれた民主化運動を鎮圧するために武力介入を行った。チェコスロバキアのドゥプチェク共産党第一書記はモスクワに連行された。同二十六日にソ連・チェコスロバキア両国指導部間で「モスクワ議定書」が署名された。そこで、チェコスロバキア側は、マスメディアの統制、共産党から改革派を追放することなどに合意している。軍事力を圧力にソ連の意思をチェコスロバキアに押しつけた、力による交渉の典型だ。

 短期的にチェコスロバキアに対してソ連は自らの意思を押しつけることに成功した。しかし、歴史的にチェコ人、スロバキア人の中にあった親露感情が失われた。その結果、ソ連とチェコスロバキアの同盟関係は、内側から腐蝕し、結局、一九八九年十一月のビロード革命で、チェコスロバキアは社会主義体制から離脱することになる。

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