ラーム・エマニュエル 駐日アメリカ大使インタビュー「中露の強権は見過ごせない――私の使命感と家族の歴史」

ラーム・エマニュエル(駐日アメリカ大使)

夕食はまるで国連安保理

 シカゴの家では、父がアメリカに呼び寄せた父方の祖父母と8年、母方の祖父母と2年、それぞれ一緒に暮らしました。3世代の同居はアメリカでは珍しいことです。

 小児科医だった父は当初はほとんど英語が話せず、国民健康保険に反対だったアメリカ医師会から事実上、追い出されました。それでもへこたれず、公衆衛生の問題に熱心に取り組みました。家庭用塗料に鉛が使われ、子供の脳に損傷を与えているとして、シカゴ市を訴えたこともあります。父は、お金が払えなければ診察しないということは決してせず、すべての子供に治療を施しました。最近、亡くなりましたが、ただ体を診るだけの医者ではありませんでした。

 母は政治活動に熱心で、CORE(Congress of Racial Equality、シカゴで設立された公民権運動グループ)を運営していました。

 私はとても政治的な環境で育ちました。両親は、「夕食は必ず家族で一緒にとらなければならない」という厳格なルールを決めていました。そして夕食の席での話題はいつも政治のことばかりです。夕食を囲むテーブルは、まるで国連安全保障理事会のようでした。

 1968年のある金曜の安息日の夕食の席では、母と祖父が、(ルーズベルト大統領の副大統領などを務めた)ヘンリー・ウォレスの評価をめぐって大口論を繰り広げたこともありました。

 夕食には、必ず新聞を読んでくることが求められます。テーブルにただ着いて、意見を持たずに座っているということは許されません。自分の意見を明らかにし、「あなたは間違っている」と言われるプレッシャーに耐え、議論し、自分の立場を守らなければなりません。

 ちなみに私の息子は海軍にいますが、韓国に駐留していた時、司令官に「ここでは政治と宗教の話はしない」と言われ、「それ以外に話すことなんかないでしょう?」と思わず聞き返してしまったそうです。

(続きは『中央公論』2022年10月号で)

聞き手:五十嵐 文 本誌編集長

中央公論 2022年10月号
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ラーム・エマニュエル(駐日アメリカ大使)
〔Rahm Emanuel〕
1959年アメリカ・イリノイ州シカゴ生まれ。ノースウェスタン大学修士課程修了。92年大統領選でビル・クリントン候補陣営の財務委員長として驚異的な資金集めで注目を浴び、93年からクリントン政権で大統領上級顧問などの要職を歴任。2003年から連邦下院議員を3期6年務めたのち、09年にバラク・オバマ政権で大統領首席補佐官に就き、医療保険制度改革の調整などにあたった。11年からシカゴ市長を2期8年務めた。
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