ノーベル賞候補の睡眠学者が教える 眠りの新常識と科学的快眠術

柳沢正史(筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構長・教授)

脳のパフォーマンスが顕著に低下

――─経済協力開発機構(OECD)の2021年版の調査では、日本人の睡眠時間は33ヵ国中の最下位で、先進国平均より1時間以上短いという結果が出ていますが、睡眠不足の影響はどんなところに表れますか。


 睡眠負債が肉体に及ぼす悪影響は、本当にはっきりしているんですよ。たとえば脳のパフォーマンスは、一晩徹夜するだけでアルコール血中濃度0・1%、つまり完全に酔っ払っている時と同じレベルに低下しますから。

 1日4時間睡眠を続けた場合は5日間ほどで、1日6時間睡眠では約10日で、一晩の徹夜と同様の脳の状態になることが知られています。つまり、睡眠が不足すると脳のパフォーマンスがどんどん落ちていくということです。

 それによる影響は、仕事のスピードや正確性、クリエイティビティなどの低下にとどまらず、心理的な側面にも及びます。個人差はありますが、寝不足だとやはり感情がコントロールしにくくなりますので、むやみにイライラして怒りっぽくなったり、くよくよしがちになる。仕事へのモチベーションも下がるし、思考停止に陥りやすくなる。さらに性格が悪くなるというか、利他的な行動が抑制されるという論文まであります。つまり、あらゆる精神的な側面がダメになる。

 その結果、アンガーマネジメントもしにくくなって、おそらくパワハラも起こりやすくなるでしょう。注意すべきは、そうした脳の変化は比較的短期間で、それこそ一晩の徹夜や、数日、数週間の寝不足で生じてしまうということです。

 さらに長期的に睡眠不足の状態が続くと、身体の疾患リスクもどんどん高まっていきます。各種の生活習慣病については、すべてのリスクが上昇すると考えて間違いありません。特にエビデンスが強いのは肥満、高血圧、糖尿病、脂質異常症などに関連するメタボリックシンドロームですね。

 うつ病を始めとするメンタルの不調に関するリスクも確実に上がりますし、中高齢以降だと認知症のリスクにも関わってきます。免疫系もダメになるので感染症にかかりやすくなるし、ワクチンの効果も弱まる。ある種のがんのリスクが増加するという論文も出ています。ありとあらゆる高頻度の疾患のリスクが上がるわけです。

 日本社会は睡眠不足によって、健康面はもちろん、労働生産性などの経済面でも大きな損失を被っているのではないでしょうか。よく「眠っていない自慢」をする人がいますが、大変な悪習だと思います。


(続きは『中央公論』2024年9号で)

柳沢正史(筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構長・教授)
〔やなぎさわまさし〕
1960年東京都生まれ。筑波大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。91年に渡米し、テキサス大学とハワードヒューズ医学研究所で24年にわたり研究室を主宰。2012年より現職。朝日賞、慶應医学賞、ブレークスルー賞、クラリベイト引用栄誉賞など受賞多数。16年、紫綬褒章を受章。19年、文化功労者。
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