鳩山イラン訪問の大失態

佐藤優の新・帝国主義の時代
佐藤優

日本外交の足を引っぱった

 日本外交で前代未聞の珍事が起きた。政府(首相官邸、外務省)、民主党の反対を押し切り、鳩山由紀夫元首相(民主党外交担当最高顧問)が、一議員の資格でイランを訪問し、アフマディネジャード大統領、ジャリーリ国家安全保障最高評議会書記らと会見した。この訪問に関して、与野党、マスメディアは厳しい批判を展開した。特に、『読売』『朝日』『産経』の三紙が、記事や解説のみならず、社説においても鳩山氏を厳しく批判した。

 読売の社説は、「鳩山議員外交 危うい理屈で国益を損ねる愚」という標題を掲げ、こう論じた。

〈政府の中止要請を無視して強行した外遊が、相手国に利用される結果となった。事前に懸念された通りの展開である。/鳩山元首相がテヘランを訪問し、イランの核開発問題をめぐって、アフマディネジャド大統領らと会談した。/イラン側の発表によると、鳩山氏は大統領との会談で、国際原子力機関(IAEA)がイランなどに二重基準的な対応をとっているのは不公平だと語ったという。/鳩山氏は帰国後、「完全な捏造で、大変遺憾に思っている」などと記者団に語り、イラン側発表を否定した。だが、鳩山氏の訪問がイランの核開発の正当化に利用されたのは否定しようがない。/イランの核問題は今、欧米諸国が制裁圧力を強める中、イランと関係6か国の協議再開を控えた微妙な時期にある。鳩山氏の外遊が、欧米と協調する日本外交の足を引っ張ったのは、重大な問題だ。/政府は再三、訪問中止を求めたが、鳩山氏は「議員個人の活動であり、議員の外交努力で国益に資することが十分あり得る」などと反論し、聞き入れなかった。/しかし、外交の常識として、首相経験者と大統領の会談にそんな言い訳は通用しない。/藤村官房長官が「個人の立場でも、こういう時期に訪問をしない方がいいと言い続けてきた」と不快感を示したのも当然である。/鳩山氏には、日本外交を側面支援したいという身勝手な思惑があったのだろう。だが、外交は政府の専管事項であり、議員外交はその補完にとどめるべきだ。/民主党執行部にも責任の一端がある。党内融和のため、2月下旬、最高顧問の鳩山氏を外交担当に決めたことだ。〉(四月十日付朝刊)

 読売の「鳩山氏の外遊が、欧米と協調する日本外交の足を引っ張ったのは、重大な問題だ」という評価に筆者も同意する。

 朝日は、読売よりも手厳しい。「鳩山元首相─もう、見ていられない」という標題で、〈これは外交とは言えない。/鳩山元首相はいったい何をしに、イランに行ったのか。残ったのは「言った、言わない」の空騒ぎだけだ。/(中略)もし、鳩山氏が核開発への日本政府の考え方を伝える特使だったのなら、微妙な時期の訪問もまだわかる。だが、首相や外相の中止要請を振り切って行った。そして「首相経験者として国益のために働くことができるのではないかという思いから、このタイミングで行かせていただいた」と説明するだけだ。/さっぱり意味がわからない。/(中略)対外的には「元首相」の肩書は重い。もう外交にしゃしゃり出るべきではない。お騒がせは、たくさんだ。〉(四月十一日付朝刊)と書いた。鳩山氏に対して、朝日新聞社が社論として「もう外交にしゃしゃり出るべきではない」とレッドカードを突きつけている。もっとも鳩山氏は、四月十三日に「できるだけ早いうちにパレスチナを訪問したい」という意向を表明し、さらにロシア訪問にも強い意欲を示している。産経も主張(社説)で、〈鳩山氏は2月、民主党最高顧問として外交担当に任じられた。与党・民主党はこの肩書を取り上げるべきだ。安易な議員外交を許した野田佳彦首相の責任も極めて重大である。〉(四月十一日付)と批判した。

 しかし、これらの批判を鳩山氏も同氏に同行した民主党の大野元裕参議院議員も真摯に受け止めていない。それは、この二人が厚顔無恥だからではない。むしろ政界やマスメディアから袋叩きにされても、「絶対に正しいことを行っている」という信念を持っているので、鳩山氏、大野氏は、批判を正面から受け止めないのだと筆者は理解している。筆者は、この類の議員外交が今後も展開されると、日本の国益を大きく毀損すると危惧する。このような事態が繰り返されないようにするためには、今回の鳩山氏のイラン訪問を解剖してみる必要がある。

悪い二元外交

 まず、「二元外交」について、二つの類型を区別しなくてはならない。あえて図式化すると「良い二元外交」と「悪い二元外交」がある。戦前、統帥権の独立を楯にして軍部(特に陸軍)が、外務省から独立した「二元外交」を展開した。特にドイツ駐在の大島浩陸軍武官がヒトラーに心酔し、日独伊三国軍事同盟の道筋を整えた。その結果、日本は進路を誤り、米英との戦争に突き進む。これが典型的な「悪い二元外交」だ。

 しかし、「二元外交」を絶対悪のごとく捉えるのは誤りだ。それは、外務官僚が縄張り意識から、他省庁や政治家が外務省の統制に服さない外交を行うことを嫌い、「二元外交」批判を展開することが多いからだ。政治主導で、外務官僚の限界を乗り越える外交が必要とされる場合がある。一九五六年の日ソ国交回復、一九七二年の日中国交正常化がその例だ。今後、北朝鮮による拉致問題の解決、ロシアとの北方領土交渉においても、重要な局面で政治主導の外交が必要となる。イランの核開発を阻止するために、外務省が反対しても首相の指示に基づいて政治主導の議員外交が展開される可能性も理論的には排除されない。外交は政府の専管事項で、その最高責任者は日本国内閣総理大臣(首相)だ。首相が統括する下で、高度の政治判断によって外務官僚の限界を突破する「良い二元外交」がまったく存在しないとはいえない。

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