日本政治学の歴史をいかに描くのか

河野有理×前田亮介×酒井大輔

近代政治学とレヴァイアサン・グループをめぐって

河野 本書を褒めてばかりだとつまらないので、あえて論点を提起すると、わかりにくかったのは「近代政治学」の扱い方ですね。近代政治学とは何か、読んでもよく分からない。

経済学史と比べるとわかりやすいですが、マル経(マルクス経済学)と近経(近代経済学)の闘争があって、近経が概ね勝利したと言って間違いないと思います。経済学史を描くという時、今、マル経が中心だと言う人はほとんどいない。近経がマル経に勝利した歴史として、経済学史は描ける。だが、政治学はそうでなかったのがミソです。

もっと言うと、近代政治学とは、当初は近代経済学とほぼ同じく、マルクス主義者から見た呼称だったと思うんですね。アメリカ的な方法論的標準化を意識した、多分に行動論的要素を含んだ学問という意味を含んだ蔑称めいたものとして使われていたのではないか。

この本に出てくる丸山眞男も岡義達も京極純一も、行動論政治学の影響を受けた部分があります。見方を変えると、レヴァイアサン・グループも丸山や岡たちも同じような立ち位置といえるわけで、丸山たちの「近代政治学1.0」とレヴァイアサンの「近代政治学2.0」──というふうに描くこともできたのではないか。

だから、近代政治学の位置づけが両義的なのです。その両義性の典型は、マルクス主義政治学に立ちつつ、近代政治学にも接近した田口富久治ですよね。なので、酒井さんは、「一般的なイメージと異なり、丸山って実はポリサイの人ですよね」という史観で本書を描いても面白かったのではないでしょうか。

前田 やはり私も近代政治学という自称/他称を議論の軸に据えている点は気になったんですね。河野先生がおっしゃったように、本来が近経vs.マル経という経済学の対立を政治学に援用したものですから、輪郭がはっきりしない。本書では、「近代政治学」を、興隆し、衰退していく、明確な始点と終点を持った、歴史上に実在した一潮流として描いています。この点、もう少し操作的に書く余地はあったのかなと思いました。

それから河野さんの「丸山=ポリサイ」説に便乗すると、おそらく、戦後初期において、行動論に完全に背を向けた政治学者はいなかったと思うのですね。その点では(今日とは異なり)丸山以下の政治学界にゆるやかなコンセンサスがあった中で、次第に濃淡が生まれ、分断も生まれてくる。ですから、戦後政治学(丸山政治学でも近代政治学でもよいですが)の出発点はポリサイだったという反直観的な史観には大賛成です。

酒井 確かに、かつての近代政治学は「マルクス主義以外」くらいの意味で使われていましたから、具体的に何を指しているかわかりにくい。本書には近代政治学という言葉が出てきますが、実は著者としては、あまり使わないようしたいという意識がありました。

戦後初期の文脈でいうと、行動論政治学の登場は、過去の伝統派に対するカウンターでもありました。だから近代政治学の中に、旧来派と新たな行動論という、対立する流れがあるのです。近代政治学とひと言で表現してしまうと、その複合性をうまく捉えられない。ここは悩ましいですね。

『レヴァイアサン』の発刊趣意では、従来世代を「いわゆる戦後『近代政治学』」と呼んで批判していますね。自分たちは「近代政治学」ではないと考えている。そうなるとますます概念は混乱してくる。その点、河野先生の近代政治学1.0と2.0というお話は、レヴァイアサン世代で「近代政治学」に大きな変化があったことを表現するものですね。

ただ、本書では、レヴァイアサン世代の前後の断絶はあまり強調していません。私は連続している面もかなり大きいと感じていました。例えば、従来世代への批判に、「印象論的、評論主義的に日本政治を扱う」というレヴァイアサン・グループの有名な言葉ありますが、それはもともと京極純一が使っていた言葉であって、彼らはそれを反復したに過ぎないのです。彼らと前の世代とのつながりは結構あるんじゃないか、ということを強調したかったのです。

河野 酒井さんのスタンスは、計量書誌学の手法で教科書を分析した論文「日本政治学史の二つの転換」(『年報政治学』2017-II号)から一貫していますよね。つまり、80年代のレヴァイアサン・グループが日本の戦後政治学史の画期だった、というのが通説的な見解ではある。確かにそういうところはある。ただ他方、そこをそんなに強調し過ぎることはない、というのが酒井さんの分析の含蓄のあるところですね。

やっぱり、彼らの打って出たそのやり方には多分にプロレス的なところがあった。「われわれは新団体を立ち上げるんだ」という時に、旧団体をあしざまに描く(笑)。わかりやすい敵役として丸山政治学、いわゆる講壇政治学を、印象論、批評的だと言って、「ああいうのはいかんのだ」という形でわら人形をつくって、たたいて燃やして新団体を立ち上げる。インパクトがあるし、うまい手法ですよね。もちろん、彼らとしては真剣だし、学問的な活性化につながるところもあるので、殴り合いにならない限り、別にいいと思うんですよ。

酒井さんの面白いところは、「それはあくまでもプロレスなんですよ」と言ったところだと思います。彼らが作った構図ほどには、彼ら自身の研究は分かりやすくないところがある。

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