日本政治学の歴史をいかに描くのか

河野有理×前田亮介×酒井大輔

パブリック・インテレクチュアルとしての佐藤誠三郎

酒井 先ほど、佐藤誠三郎の名前がちらっと出ました。本書の一番の売りは何かというと、一つは佐藤誠三郎をきちんと扱ったことだと、自分では思っています。先行する書籍として挙がった大嶽と田口の本も、佐藤についてはスルーしている。でも、政治史学上、大事な人だという直感は以前から私にはあって、本書で扱った人物では唯一、生まれから死亡まで通して書いています。特に気合いを入れて書いたところなのです。

佐藤誠三郎をどう捉えるか。彼の活躍した80年代は、学界ではレヴァイアサン・グループがどんどん登場して、新しい政治学の雰囲気が出てくる時期です。その中で、知識人的かつ科学者的でもある、二面性を持った人物として彼を描きました。

偶然ですが、河野先生も前田先生も、佐藤誠三郎についてお書きになったことがあります。佐藤をどうご覧になっていますか。

前田 そうですね。まだ十分に捉えられていないのですが、彼はその都度、学んで刺戟を受けたことから強く影響を受けるタイプの研究者かと思います。政治史の仕事でいうと、1965年の大久保利通論は、当時最先端だったリーダーシップ論、政治指導者論ですよね。他方で、1980年の岩倉具視論は連合理論のようなところがある。いずれも元は同じ助手論文の一部だったはずなのですが、このようにその都度その都度でモデルにしている政治学が、微妙に推移している印象がありました。その揺れを捉えかねていたのですが、今回、佐藤の「仕切られた多元主義」と篠原の「ネオ・コーポラティズム」の近さの指摘や、その舞台としての第二臨調などでの政治的活動に関する本書の記述を読んで、佐藤誠三郎を日本政治学史に位置づけるためのひとつの線が見えてきたような読後感を得ました。

もうひとつは、本書にも出てくる西部邁と共鳴する部分として、大衆民主主義への批判がある。その文脈で、圧力団体が悪者として出てくる(156ページ)のは政治外交史学史の点で興味深く感じました。話は飛ぶようですが、私は石田雄を扱ったことも『日本政治学史』の大きな売りだと考えています。64ページに「圧力団体の台頭は、民主主義の前進なのか後退なのか、意外に難しい」という指摘が出てきますね。これは本当に面白い。たとえば、石田の同時代人でも岡義達に言わせれば、民主主義は政党が担うべきで、圧力団体はノイズのような位置づけです。

ところが石田雄は、特定の利益でまとまった第三党は結局、保守党の別動隊になってしまうから、圧力団体は存在すべきだと考えていました。ここからは、圧力団体があってこそ日本政治の近代化が進むといった含意も読み取れます(同様に升味準之輔も、ロバート・スカラピーノとの共著では、個人後援会との対比で、全国的な圧力団体に好意的です)。日本政治外交史では、三谷太一郎先生のように、どうしてもパーティーシステム(政党制)の確立過程の議論が中心になるのですが、佐藤誠三郎や石田雄は、圧力団体への評価は対照的ながら、政党制の確立史観と違う形でそれぞれに政治外交史の駆動力を見ていたのだと、本書から気づくことができました。

河野 私も本書が佐藤誠三郎について丁寧に触れていて、すごくうれしいのですけど、彼にここまで興味を持ってしまうわれわれが特殊なのかもしれない、とも思います。世の中、本当にそこまで佐藤誠三郎に関心があるのか......と。

酒井さんは、方法論がはっきりしています。佐藤誠三郎の共著『自民党政権』がその後の政治学のスタンダードとして言及、引用され続けるので、佐藤誠三郎を扱うことの位置付けが明確なのですね。

その一方で、広く学問史ないしインテレクチュアル・ヒストリーとして見た場合に、佐藤誠三郎は位置付けが難しい。普通の人は知らないですよね。われわれの世代でも「中曽根のブレーンだった保守のおじさんですか」みたいな感じで(笑)。古本屋巡りが好きな人は、公文俊平と村上泰亮とのやたら分厚い共著(『文明としてのイエ社会』)があって、「イエとか言われてもな」みたいな(笑)、通読するのは極めて困難な本の著者、というぐらいが相場ではないか。だから、佐藤誠三郎は政治学史の重要なパーツである、と言っただけでもとても意味があると思う。

ただ、やっぱり扱いは難しいですね。佐藤って本当にその時代の最新の議論にキャッチアップして、非常に器用な人なんでしょう。もともとは東大の国史出身で、歴史学徒ですが、その時代はマルクス主義が強かったはずです。その後は離脱して、丸山の影響を受けて近代政治学の徒になる。そこから近代科学のインパクトを受けて、丸山の影響圏内からも離脱していく。そして今度は、1970年代の論壇で、香山健一と組んでグループ一九八四年という匿名集団の一員として、インフルエンサーの役割も担う。80年代には中曽根のブレーンとして、多くの人の耳目に触れることになる。どういう人か分からん、というのが大方の印象なんじゃないか。

そうした中で、酒井さんの本は、佐藤の全体像にはそれほど触れずに、あくまで政治学史のひとコマとして位置付けをされた。全体像に関しては、例えば第二臨調の裏側で佐藤がどう動いていたとか、これから研究が進んでいくのかなと思います。

酒井 以前、『代議士の誕生』を書かれたジェラルド・カーティス先生にインタビューする機会がありました。佐藤誠三郎の印象を聞いたところ、「パブリック・インテレクチュアルだ」と言っていました。つまりは公共的な知識人の意味合いですから、あまり専門化し過ぎた専門家というイメージではなかったと思うのですね。実際、佐藤は社交をかなり重んじていて、家にいろいろ政治家やジャーナリストを呼んでいます。そういう場でも活躍された方でした。

それに、佐藤は意外と多作なんですよ。書籍は共著で書くスタイルの人ですが、小さな雑誌記事だと単独でかなりたくさん書いている。関連資料も多いので、その辺、じっくり掘っていく方が今後現れればいいのかなと思います。

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