日本政治学の歴史をいかに描くのか

河野有理×前田亮介×酒井大輔

「丸山眞男の長い影」

酒井 丸山眞男の話が出ましたが、日本の政治学史では、彼が最大のキーパーソンですよね。ただ、この本では丸山をそのものとして論じるのではなく、後世に与えたインパクトについて書いています。行動科学への「アクセルとブレーキ」という表現を使いましたが、相矛盾する影響を残したといえるのではないか。こういった見立ては、丸山に親しみを覚えている方からは怒られてしまうのではないか、という気もしていますが。

河野 やっぱり怒らないといけないですかね(笑)。どうでしょうか。

丸山の影響といっても二つあって、行動論政治学の需要にアクセルを踏んだ部分がある一方、ブレーキをかける部分もあったと。例えば、田口先生はそのブレーキの部分を強調されたわけです。それが、市民の政治学と呼ばれる系譜につながって、戦後の政治学者は、行動論に一定のブレーキをかける作業をやり続けた。それは、確かに丸山由来のところがあるんですね。

しかし丸山はとてもアンビバレントな存在で、一方では「京極君、岡君、どんどんやりたまえ」と行動論の方向へたきつける。他方では「存在の被拘束性をきちんと意識しなくてはいかんのだ」みたいなことも言う。だから脱行動論革命を先取りした面がある。酒井さんの本は、そういう両義性をうまく描いているのです。

むしろ、そんなに丁寧に付き合わずに、「いや、丸山っていうのは実は行動論政治学の元祖でしたよ」と言ったほうが、わかりやすいのではないですか。丸山の両義性を丁寧に浮き彫りにし過ぎたために、ややもすればわかりにくい印象が残ったのではないか、と余計な心配をするのですけど、どうですかね。

酒井 丸山が行動論の先駆だったという面は、今まであまり強調されてこなかったように思います。神島二郎は、師の丸山を「行動論的政治学のパイオニア」と呼びましたが、これは特異な例外です。やはり思想史の研究者というのが、丸山像の中心です。私は少しだけポリサイ寄りに丸山を描きましたが、これでも結構勇気が要ったのです。とても振り切って書くことはできませんでした。

前田 「丸山眞男の長い影」といいますか、いろいろ人に多面的な影響を与えているのですね。先ほども言及がありましたし、本書でも書かれているように、田口富久治や佐藤誠三郎への影響も大きいです。

その丸山の長い影がなくなるのは、いつ頃になるのでしょうか。『日本政治学史』はこの点、レヴァイアサン・グループの登場を画期とするのではなく、新制度論を画期としているわけですね。その時期から、丸山の影響圏から切断された、そもそも敵としての関心もないという人々が出てきた。逆にそれ以前、大嶽先生や多元主義まではある程度「丸山の長い影」の下にいる、そういう位置付けなのかなと思います。

河野 新制度論が画期というのは、おっしゃる通りですね。酒井さんの大嶽秀夫論にはそれがよく出ていますけど、レヴァイアサン・グループが書いた本をいま読むと、驚くほどポリサイらしくない。現在のポリサイの感覚や基準で読むと、全然違う。やはりレヴァイアサン・グループより後でパラダイムが変わったところがある。

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