日本政治学の歴史をいかに描くのか

河野有理×前田亮介×酒井大輔

学問史のなかの人脈をどう見るか

河野 酒井さんの本の大きな特徴は、純粋にテキストの引用回数にこだわるところですよね。もちろん、それが適用できない部分があることは酒井さんも十分ご存じだけど、態度がはっきりしている。そのスタンスで何を切り捨てているかというと、学閥とか人脈とかですよ。

われわれみたいな研究者は人脈史が大好きで、どんどん調べたくなる。佐藤誠三郎も人脈を通じて与えた影響は大きいですよね。佐藤誠三郎のテキストを通して影響を受けた人よりも、佐藤ゼミのメンバーとして感化されたという影響は大きいし、むしろそちらのほうが面白い部分でもあり得る。ゼミで同じ本を読んで、この人の指摘やコメント鋭いなと思ったり。それはまたテキストや引用を通じた関係とはちょっと違う知的体験だと思います。

話を聞いた限りでは、佐藤誠三郎は明らかにゼミで異様な熱気をもたらす人なんです。だから、嫌いになったゼミ生もいるだろうけど、大好きになった人も多い。そういう謎の感化する力や人脈が、この本では潔くばっさり切られている。そういうことをやろうと思えば、いくらでもやりようがあるのでしょうが、でも逆にやってない結果として本書はクリアになっていて、これはこれで良いのではないかと思う。

酒井 学問史は、つい学閥や人脈の話に寄ってしまいがちなんです。師弟の間にどういう継承関係があるか、弟子間での相違はどうか、といった論点がそうです。それはそれで面白いのですが、私はそうはしたくなかったのですね。「学問ってそういうものなのか」という気持ちがありました。

人脈や学閥でいうと、例えば大学を中心にした記述になるわけですが、しかし、そもそも学問はもっとユニバーサルなものではなかろうか。「論文や本を書くことは、内輪のサークルに向けて書くのではなくて、全世界に向けて書くものだ」という観念が一般的にありますが、私はこれを正面から受け取っているわけです。

もちろん、誰それの影響を受けたという話は、それはそれで重要なので書いてはいます。でも、そこを中心にはしていない。むしろ、その学者がどういう資源や環境を活用して、なにを切り開いたか、そこの仕事をしっかり見よう、という本として書いたつもりです。

河野 そこは酒井さんの非常にはっきりしたスタンスですね。人脈や学閥から一回切り離して、ユニバーサルに戻してみようという。
 
これは本書の方法論として提示されている、教科書を基準とする姿勢とも完全に対応していると思うのですね。そして、それは教科書を通じて学問を学ぶのが当たり前の世界を前提にしている。

でも、教科書の文化史みたいなものを踏まえると、教科書が持っている意味合いは、今と過去では大分違うんじゃないかとも思います。かつて大学のゼミでも、最初に先生が「政治学に教科書なんかねえんだ」とばんと打ち上げて、「そういうことじゃないんだ、君」と学生をびびらせて、それで政治学とは何なのかを考えさせる――。そういう手法が普通だった時代が善し悪しはともかくあるんですよね。
 
ただ、酒井さんの本は、そういった要素は本当にもうばっさりと切っている。その利点はありますが、私なんかは、そこで切り落とされているもののほうが好きなのですね。

日本政治学史 丸山眞男からジェンダー論、実験政治学まで

酒井大輔 著

「科学としての政治学」は、どのような道程をたどったのか――。本書は、戦後に学会を創り、行動論やマルクス主義の成果を摂取した政治学が、先進国化する日本でいかに変貌してきたのかを描く。丸山眞男、升味準之輔、京極純一、レヴァイアサン・グループ、佐藤誠三郎、佐々木毅などの業績に光を当て、さらにジェンダー研究、実験政治学といった新たに生まれた潮流も追う。欧米とは異なる軌跡を照らし、その見取り図を示す。

河野有理×前田亮介×酒井大輔
河野有理(こうの・ゆうり)
1979年東京都生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。日本政治思想史専攻。首都大学東京(当時)法学部教授を経て、現在、法政大学法学部教授。著書に『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会、2011年)、『田口卯吉の夢』(慶應義塾大学出版会、2013年)、『偽史の政治学』(白水社、2016年)がある。

前田亮介(まえだ・りょうすけ)
1985年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。日本政治外交史専攻。北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。著書に『全国政治の始動』(東京大学出版会、2016年、サントリー学芸賞)、編著に『戦後日本の学知と想像力』(吉田書店、2022年)がある。

酒井大輔(さかい・だいすけ)
1984年愛知県生まれ。名古屋大学法学部卒業。同大学院法学研究科修士課程修了。現在は国家公務員。専門は日本政治学史。著書に『日本政治学史』(中公新書、2024年)。共編著『日本政治研究事始め─大嶽秀夫オーラル・ヒストリー』(ナカニシヤ出版、2021年)など。
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