《追悼 益川敏英さん》【後編】若者が科学に夢を持てる国に

益川敏英/聞き手・竹内 薫(科学作家)

ノーベル賞のアイデアは湯船でひらめいた?

竹内 先生のご研究の話もうかがえればと思います。ノーベル賞授賞の理由となった小林誠先生と共著の論文は1973年発表でしたね。僕らも80年代に大学の教科書で教わりました。素粒子のクォークが6種類存在するというアイデアは湯船で思いついたそうですが、それは本当なのですか?


益川 物理と数学の違いから始めるとわかりやすいと思うんだけれども、数学だったら一般化してn行n列でやってみましょうということになる。
 でも素粒子の場合、当時確認されていたクォークは3種類までだった。そして、4種類まで増やすと面白い理論ができるという議論はあった。
 だから、我々は当然、その4元モデル(クォークは4種類あるとするモデル)で議論を始めた。クォークが6種類あると考えることは、ものすごく難しいと言うか、そうでなかったら意味がないわけですよ。


竹内 確かに、5番目、6番目のクォークが現実に存在しなかったら意味がありませんよね。


益川 当時としては4つ目までで考えるのがギリギリだったんですよ。まだ3種類しかわかっていないんだから。
 それで、4元モデルで議論を進めたんだけれども、どうしてもうまくいかない。うまくいかないので、お風呂の話になる。(笑)
 風呂というのは、じっとして、ボケーッと考えている時間でしょう? ある晩、ボケーッと考えて、「どうするかな、4でうまくいかないし。しかたがない、4元モデルではうまくいかないという論文でも書いてやめにするか」と思ったわけです。
 それで、やめにしようと決意して湯船から立ち上がった。そのときふと、「そんな格好の悪い論文を書くより、いっそ6元モデルにしたらいいじゃないか」と思ったんです。6種類にしたらうまくいくことは、ほとんど暗算でわかるような話です。


竹内 理系では、学校の行列の授業で教わりますね。6種類にすると行列が3行3列になって自由度が増す。


益川 自由度が増すからうまくいくことは、それまでの計算でよくわかっていた。
 風呂ではまず、4元モデルをあきらめようと思った。風呂の中はボケーッとして、何かを決心するのにちょうどいい場所でしょう?


竹内 そう言えば、僕も本のストーリーを思いつくのは、たいてい、風呂に浸かっているときですね。(笑)


益川 何か新しいアイデアを生み出すのであれば、僕は歩きますね。歩くことは非常にいい。


竹内 そして、決心するためにはお風呂?


益川 いや、たまたま僕の場合は風呂だっただけで、人によってはトイレというのもありうるでしょう。じっと何もせずにいる場所といったら、この2つぐらいだと思う。(笑)


竹内 当時、4元モデルというのは、ある意味で「次の一手」ですよね。それが6元モデルまでいくとなると、すごい発想の飛躍があったわけですね。


益川 そこが数学と違うところね。実際、論文を書き上げた直後、ある先輩から、「益川君、本当に6つもあると思ってるの?」とからかわれたりした。理論が計算上可能ということで、もしクォークが6種類なかったら、それは前提が間違っていたことになりますと、そのとき僕は答えましたけどね。


竹内 論文の発表直後から反響はあったのですか?


益川 それが、国内でもほとんど引用する人がいなくて。京大の基礎物理学研究所におられた岩崎洋一さんが我々の仕事のことを知って、面白い論文があるぞと東京方面に伝えてくれた。ようやく箱根を越えたわけね。
 岩崎さんから知らされた高エネルギー物理学研究所の菅原寛孝先生が、これは大変重要な論文だということで、国際会議で紹介したり、その意義を考察する論文を書いたりしてくれたんです。我々の論文が引用索引に載るようになったのはそこからです。


竹内 岩崎先生、菅原先生に認められて、そのあとに南部陽一郎先生のお墨付きが出たわけですか。


益川 尊敬する南部先生からお墨付きをいただいたのは、ある意味では勝利宣言みたいなものです。
 1978年、素粒子物理の世界では最大級の国際会議がこの年、東京コンファレンスという名前で開催された。そのときにサマリートークをされたのが南部先生で、「CP対称性の破れ」の問題に言及され、この問題に関しては小林・益川による6元クォークモデルが有望であると述べられた。
 このことは当時の新聞に載っていますよ。僕の名前が初めて新聞に載ったわけ。(笑)

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