平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 紅吉、虎松の場合
第九回 紅吉、虎松の場合
平山亜佐子
15の春に花柳界のお米と恋仲に
同じ頃に男装していたもうひとりの人物を紹介しよう。
その名は柳虎松。といっても名乗りであって、本名は柏あいという。
生まれたのは1889(明治22)年ごろ、場所は大分県下毛郡中津町(現中津市)、雑誌『実業之世界』を創刊して後に政治家となった野依秀市と同郷だったという。
4、5歳の頃から男子に交じって遊び、8歳で自らおさげ髪を切り落とした。
小学校には馴染めずサボってばかり、11、2歳で自転車が流行ったときには大いに乗り回した。
この頃には周囲から「男女〈おとこおんな〉」と認知されていたらしい。
わずか13歳で侠客を気取って虎松を名乗り、家を飛び出して釜山を訪れた。
しかし、無計画だったためにどうしてよいかわからず、路傍で泣いていたところを警察に保護されたというからかわいらしい。
結局、郷里に戻ったが、この体験に自信を得たのか次第に男友達と女の話をするようになった。
15の春に花柳界の女で2歳上のお米と恋仲になり、中国に駆け落ちして二人で工場勤めを始めた。一年は辛抱したがお米のもとの抱え主がうるさくなったので、お米は神戸の親元へ、虎松も大分の郷里に戻された。もちろん、これで諦める虎松ではない。
お米が大阪で芸者に出ていると聞きつけて大阪に行き、遊郭に行く金を作るためにお米の知り合いの魚屋で天秤棒を担いで働き始めた。
さらにもっと近いところで働こうと、芸者になろうとして叶わず、箱屋(芸者の三味線持ち、付き人)になろうとして叶わず、そうこうするうちにお米は上海に売り飛ばされてしまった。