平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 紅吉、虎松の場合
第九回 紅吉、虎松の場合
平山亜佐子
再び上海へ――お米と旦那の目の前で割腹
虎松はヤケになり、一升瓶を抱えて酒浸りになったり、喧嘩をしたり、遊郭に出入りして恋人を作ったりした。
驚くことに、虎松は遊女たちの人気者で、彼女たちの仕送りだけで生活できるほどになったという。つまりヒモである。しかし、どうしてもお米が忘れられず、翌々年に上海に渡った。
お米にはすでに旦那がついていたが、虎松は女であるのをいいことに公然と出入りを始めた。しかし、事の次第に気がついた旦那は、虎松を少し離れた蘇州に追いやり、商売をさせた。
最初は大人しく働いていたが、旦那の真意に気がついたためすぐに上海に戻り、二人の目の前でなんと割腹。手術で回復したものの、その事件ですっかり醒めてしまったお米はうまく騙して虎松を内地に送り返した。
実家にも帰れず、困った虎松は幼少期の知り合いだった横綱、梅ヶ谷〈うめがたに〉の家に寄寓することになる。
1914(大正3)年ごろには浅草大勝館で活動弁士をしたり、芸人相手の造花屋を開いたり、女義太夫の紫雪と交際したり、両国辺で恋人と銘酒屋を開いたりと転々とした。
1916(大正5)年の秋、再び上海に渡る。ところが新聞を賑わせる問題を引き起こし、翌年秋に帰国。今度は珍しく堅気の商売を行い、今も続いていると1919(大正8)年の記事には出ている。