小林の新プラン「政治漫画を描いてみないか」
「カッパ」の漫画でお馴染みの清水崑も、横山隆一と共に、創刊から「新夕刊」で漫画を描いた。それも小林秀雄から新プランを与えられてだった。
「小林さんに面識を得た頭初の頃は、僕は小林さんを怖い人だと思っていた。この人の前に出ると無駄口がきけない。お世辞を言うのが馬鹿々々しくなる。正直なことを述べようと思う一方ですぐそれが言わでものことだと反省される。(略)娯楽雑誌など滅多に見る人ではなさそうなのに、何時、何処で目に入れられるのか僕の漫画を知っておられて、今度或る社から創刊される新夕刊という新聞に、君ひとつ専門に政治漫画を描いてみないか、という相談を、一昨年の冬だったか突然持ちかけられた。漫画の中でも特に政治漫画は僕の最も不得手とするところです。それに殆ど経験もありませんから、と辞退すると、いや描ける、きっとこなせる、と自信たっぷりなので、本来無いものと観念していた自分の持物を、こっちの知らない間にこの人に見つけられていたのかと狐につままれたような怪訝な感慨を催した。同時にこの人の鑑定なら信用していいだろう。どんな漫画になるか知らないが、ひとつ思い切って描いてみるか、よし、というので引受けた」
以上は、小林の勧めがあり、小林が序文を書き、創元社から昭和二十六年(一九五一)に出た清水の随筆集『筆をかついで』に入った「小林秀雄」という文章からの引用である。清水崑に政治漫画をは、「編輯者」小林秀雄の発想であり、仕掛けであった。清水崑が面食らったのが当然といえるアイディアである。その四、五日後に、小林、清水、田河、高源社長の四人で会食が持たれた。社長とはその時が初対面だった。席上、小林は藪から棒に清水に宣告する。
「一つだけ君に言っておくことがある。(略)公平中正に描き給え、主義主張を入れては人は笑わない。それだけ、あとは君の勝手だと。/非常に気になる言葉なので今でも忘れない。忘れないどころか、未開の曠野を踏破する独り旅にはこれが何よりの指針となった。(略)何カ月か経った頃、あの時あなたの仰言った公平中正という意味がどうやら呑みこめましたと洩らしたところ、へえ? 僕がそんなことを言ったっけね、とケロリ然」
※次回は8月25日に配信予定です。
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。