東電問題は東京と日本が直面する課題の縮図
多様なコミュニティに支えられる都市構造
地域社会のそれぞれにコミュニティの核心の形成が期待されるが、個々のコミュニティは当然のことながら多様化することになろう。こうしたなかで、農業経営のあり方についても新しい側面があらわれよう。日本列島の各地の土壌の豊饒度は、国際的に見ても極めて高いものとされる。広葉樹林帯を中心とした日本の土壌の豊かさは、海外の農業研究者がつとに指摘しているところである。すなわち、日本列島の全域において、多様な野菜や果実が収穫可能なのである。
わが国の農業では、産地主義が唱えられ、例えばキャベツ、サクランボ、モモなどは特定の産地と結び付けられることが多いが、実際には日本列島各地のほとんどの地域において数十種類の収穫物が栽培可能である。旬の、そしてフットプリントにおいて優秀な、移転距離の小さい、鮮度の高い野菜の栽培は、供給面ではすでに可能である。これまでそうした努力が必ずしも定着しなかったのは、地域コミュニティごとの多様化が実現していなかったからである。多様な経済活動の核が日本列島の各地にそれぞれの特徴を見つけて定着すれば、生産地と消費地を一致させた地産地消型の鮮度の高いおいしい野菜の栽培と消費が可能となる。
一部には、小学校の給食で地産地消の試みが始まっているが、これを営農規模を拡大するかたちで実現するためには、地域コミュニティの活性化が不可欠である。われわれはそうした手がかりを、東京大改革を通じて手にしはじめたと言えるかもしれない。
こうした多様な地域コミュニティが日本列島の各地に生まれるならば、いわゆる「ワーク・ライフ・バランス」についても、極めて好条件といえるであろう。長い通勤時間から解放され、在宅勤務等も部分的に可能な仕組みが、ここには成立することになる。ワーク・ライフ・バランスの改善のあかつきには、ボランティア活動の余地も極めて大きなものとなる。一日二四時間三六五日は各個人に帰属するものである。長い通勤時間から解放されるならば、そこに生活時間のゆとりも生じ、かつ地域を中心としたボランティア活動の余地も当然増えよう。
こうした新たな都市構造においては、企業でいうM&A(合併・買収)に相当する業務提携が地域と地域との間で起きることも考えられる。すなわち仕事を通じたネットワークの広がりをきっかけに、地域間において、余暇時間の使い方や、レジャー活動の活性化等も起きる可能性がある。M&Aは企業が新たな分野に進出するときに時間を節約する手法であるが、地域間のある種のM&Aや連帯の強化は、新しい地域社会像につながる。例えば東京圏の自治体と東北地方のそれとの間で夏期学校を開設し、学童の経験交流の常設化をきっかけに広範な業務提携に入ることもできよう。
当然、こうした試みはそれぞれの地域ごとに他と差異化したものにならざるをえない。日本列島に均質的なものが広がるのではなく、それぞれに差異化された町の特徴がつくりあげられていくことが想起されるべきだ。
明治維新以来、国土の画一的な開発が進んだが、「3・11」を契機として、日本列島各地での多様な社会像の広がりを想起できよう。徳川幕藩体制は三百有藩から成り立っていた。今後は例えば三〇〇藩に相当する、差異化した多様な町づくりを構想できるのではないか。
結果としての自給率向上策
ところで、今回の「3・11」を通じて明らかになったもののひとつは、食料自給度の意味論である。飽食を前提とした食料自給度の計測や、その向上策がいかに無意味かが、「3・11」によって明らかになったのだ。
食料自給とは、飽食を前提とした平時の話ではなく、「非常時」にあって食料をいかに確保し、いかにして資源使用を節約するのかというテーマである。もし、飽食を前提とした平時においてさえ食料自給度を引き上げようとすれば、経済的に見て極めていびつな仕組みを用意しなければならないのである。われわれが「非常時」において食料確保にかかわって、堅牢度を持つ仕組みを採ろうとするならば、それはフットプリントが短く、地産地消を中心にして、必要なものが地域社会の内部において手に入る仕組みをつくることである。すなわち、コミュニティの多様化という社会そのものの変化を通じて、結果として食料自給度を引き上げるという考え方である。
そこでは自立した農業経営者が存在し、その周辺に新しい企業群も成立するという姿を想定すべきである。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の下での新しい付加価値創造こそが二十一世紀の日本にふさわしいものであることは明らかだが、このことは、自立した農業経営と新しい企業群が日本列島の各地に展開するなかにおいて実現する、という構想の提示が同時になされなければならない。