東電問題は東京と日本が直面する課題の縮図

田中直毅(国際公共政策研究センター理事長)

先進諸国に共通する調整過程

 われわれは「3・11」によって、明治初年以来のシステムをついに切り替えるチャンスを手にしつつあるといえるのではないか。このことは、政府活動による支援を高めることを通じてではなく、自立した個人や企業経営が明日を睨んで選択するなかで実現するものといえるのではないか。

 われわれはどこかで錯覚を持っていたのかもしれない。これまでの日本の骨格的なシステムは、輸出セクターを代表する強力な企業群が常に存在し、そうした企業セクターがグローバルに生み出す利潤を内需分野と国内の規制分野が吸い取る仕組みだったといえる。

 けれども、こうした仕組みのなかで実際には財政赤字は拡大し、政府の関与する分野では付加価値創造につながるものが少なかった。中央政府の一つひとつが「割拠」したまま放置されたのは、付加価値生産とは無縁の政府支出と、それを支える「割拠」せる政府部門とが、その手段として不可欠だったからである。今回の巨大な災害からの復旧過程において、中央「割拠」の諸部門の連携がいかに弱いかは、いまやわれわれの目の前で明らかになった。

 この点についても、「3・11」は残念な現実を明らかにしたといえるだろう。われわれは、どこかで錯覚に基づいて動きがちであったが、「3・11」によって、その錯覚からついに覚醒したといわねばならない。もちろん、東京問題の顕在化のように極めて厳しい局面にも直面するが、しかしその先には、新しい活性化した日本列島像を思い浮かべることができるのではないか。

 そしてこのときにあたって、日本だけが取り立てて錯覚が大きかったとする被害者意識にとらわれる必要はないのではないか。

 例えば米国においては、証券化(セキュリタイゼーション)を通じて内需を長期にわたって拡大できるとする考え方が、二〇〇八年のリーマンブラザーズ社の破綻以前には極めて強力であった。証券化は、もともとリスクの分散管理を通じて投資選好度を向上させ、資源配分改善の手がかりとされた。しかし、その実態は住宅資産価格の上昇を手がかりとした、家計からの購買力の引き出しと、海外からの米国への証券投資の誘因づくりでしかなかった。そして証券化がサブプライムローンの組成につながり、商業用ビルディングを証券化したCMBS(Commercial Mortgage-backed Securities)を全米に広げた後、それが崩壊し、ディレバレッジというかたちで負債残高の縮小が生まれた。かてて加えてボルカープランを通じて、金融機関のバランスシートを明瞭なものにするとする大きな動きが生じた。米国はリバランシングというかたちで、バランスシートの調整を家計レベルでも、政府レベルでも行わざるをえなくなったのである。この先行きに財政緊縮のテーマも当然登場せざるをえない。リバランシングの米国が、中期的な調整過程に入ったとする見方は極めて有力である。

 EUにおいても、共通通貨ユーロの導入を通じて、南欧諸国もまた低金利を手にすることができるとするユーフォリアが生まれた。しかしここでも、こうしたユーフォリアの長期持続が不可能になったのである。そして、ヨーロッパの銀行セクターでは、政府債務を大幅に購入し、また米国で組成されたローンの証券化商品を大幅に抱えたところから、調整が長引きつつある。

 サッチャー政権の末期から持続的な成長をとげた英国においても、今日となってみれば、証券化商品のつくり手としては米国以上に粗雑であった、との評も生まれた。ここから英国経済においても、財政収支バランスの健全化のために支出削減の長期化が避けられなくなった。

 このように見れば、先進国のいずれもが、二十世紀の最後の二〇年ほどの錯覚から覚め、問題に正面から向き合わざるをえなくなったといえるだろう。日本もまた「3・11」をきっかけに、向き合わねばならない課題が浮かび上がったといえる。この課題を、今後どのように克服するのかを通じて、二十一世紀の日本の経済社会像が決定されるといえよう。

(了)

〔『中央公論』2011年5月号より〕

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