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苅谷剛彦×橘木俊詔 英語支配と米国モデルに大学は抗えるか ――入試大混乱時代のエリート教育論(下)

苅谷剛彦(オックスフォード大学教授)×橘木俊詔(京都大学名誉教授)

日本の二段階方式は機能している

―では日本の入試改革に対するご意見として、まず全員が共通テストを受けて、希望に応じて二次試験を受けるという仕組み自体は、変えたほうが良いと思われますか。あるいは、イギリスやフランスの非エリート大学のように全国共通の高校卒業資格テストだけで選抜したほうがいいとお考えでしょうか。

橘木 私の記憶では、日本で大学共通一次試験が導入された理由は、大学の先生が入試で難問奇問ばかり出していたので、専門家が集まって良い問題を作り、それを全国一律に実施して基礎学力を試験しようということでした。その当初の目的は、共通一次なりセンター試験で、わりあい達成されたと私は見ています。

苅谷 僕もそう思います。実際にセンター試験では良い問題を作り続けてきていると思います。記号で選ぶ選択式の問題ですが、決して暗記だけでは解けない。数学にしても、きちんと解かないと答えられない。もちろん記憶だけを問う問題も中にはありますが、ほとんどは基礎的な理解力がなければ解けない問題です。それ以上のレベルは各大学が個別に二次試験で審査する。その組み合わせで受験生のさまざまな能力を試験するというシステムを、これだけの時間をかけて作り上げてきた。

橘木 それなのに、センター試験にも記述式を入れなあかん、と言いだしたのはなぜなんですかね。

苅谷 それ、センター試験を解いたことがない人が言っているんじゃないですか。(笑)
 冗談は別として、全国で五〇万人以上が受ける基礎的な理解力を試す共通テストの仕組みと、実質エリート主義的な選抜機能を果たしてきた国立大学の二次試験の選抜の仕組みを同じように論じて、思考力や表現力を問うために前者にも記述問題を入れなければならないという主張は、機械的な平等主義の発想です。
 僕から見ると、発想が逆立ちしている。入試を変えれば教育が変わると思ったのでしょうが、その教育の実態を詳しく調査したわけではない。センター試験の問題は知識の量だけを測っているという印象論から生まれた発想で、実際に学校の現場でどのような授業が行われているか、生徒はそこでどのような能力を身に付けているかを調べたわけではない。実態から帰納的に発想していくのでなければ、入試改革は迷走するばかりです。

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