苅谷剛彦×橘木俊詔 英語支配と米国モデルに大学は抗えるか ――入試大混乱時代のエリート教育論(下)

苅谷剛彦(オックスフォード大学教授)×橘木俊詔(京都大学名誉教授)

日本語化が成功しすぎた日本

日本は各国からどのようなことを学ぶべきでしょうか。

苅谷 日本は日本モデルで頑張るしかないと、僕は思います。日本モデルはもともと折衷的です。戦前はドイツ型、戦後はその影響も残しながらアメリカ型を導入した。
 本誌でも述べたことですが(『中央公論』二〇二〇年二月号掲載「教育改革神話を解体する」)、日本の場合、近代化の過程で、早くから教授言語の日本語化に成功した。その事実をきちんと認識する必要があります。
 どういうことかと言うと、遅れて近代化をした国はどこも西欧諸国から先進的な知識や技術や制度を取り入れるために、最初は教育も外国語に依存するかたちで行われたわけですが、日本では、それが相当早い時期に日本語による教育に置き換わったんです。学校の授業でも早くから日本語の教科書が使われ始めました。しかも、優秀な翻訳家たちがせっせと翻訳をしてくれたおかげで、日本人は世界のたいていの知識や情報を日本語で知ることができた。
 これは今も同じで、英米に限らず多くの国の文学が日本語で読めます。社会科学の分野にしても、フーコーだってブルデューだってピケティだって、すぐに翻訳で読めるようになる。こんな国はほかにないですよ。これは出版文化と関係しているんですね。つまり日本では本を読む読者層が厚いから本が売れて、しかも輸入学問が権威を持っていたので、翻訳家たちが外国の学問や文学作品などをどんどん翻訳し、さらには紹介・解説をしてくれた。そうやって日本では、日本語だけで充足する仕組みができてしまったのです。

橘木 ところが今、グローバル化で翻訳学問や翻訳知識だけではやっていけない時代になったということですね。そこに危機感がある。

苅谷 そうですね。それともう一つは、多くの言語に関して優れた翻訳家や解説者がこれからも出続ける保証はないということです。日本人の外国語の能力は弱くなっているように思います。日本語で何でも読めるのはいいことなんだけれど、それに慣らされてしまうと、ここまで一五〇年続けてきた翻訳学問のクオリティを継承し発展させる次の世代がちゃんと育っていくかどうかわかりません。

橘木 それはちょと悲しい話ですね。ちなみに最近の学生に人気がある第二外国語は中国語と韓国語で、ドイツ語やフランス語の選択者はごく少数です。

苅谷 僕らの頃と違って今は大学院入試も、英語だけで受験できます。フランス語、ドイツ語の人気は落ちる一方です。

1  2  3  4  5