谷川嘉浩 異世界系ウェブ小説と「透明な言葉」の時代

谷川嘉浩(京都市立芸術大学特任講師)

内も外も意味する「コンテンツ」

 タイトルや表紙のような表面から、既に内側が見通せている。重要なのは、異世界ものに見られる内容説明的な言葉遣いが、作品の外面に素知らぬ顔で置かれていることである。

 この文脈において、いつの間にか定着した「コンテンツ(contents)」という用語は興味深い。元は中身を意味する単語に過ぎなかったが、現代社会における「コンテンツ」という言葉は、その具体的な中身だけでなく、作品や商品自体をも意味している点で、表面(外)と内容(内)が無分別である状況をうまく表現してくれている。

 コンテンツ文化では、内側が外側に漏れ出すことがしばしば望まれるようだ。07年に始まり現在は売却された配信サービスUstreamなどを通じて、最初に配信文化が流行したときのキーワードが「だだ漏れ」だったことは偶然ではない。

 ここにあるのは、連想を誘う隠喩でも、詩的なフレーズや間接表現でもない。「どういう属性の何がどうなったか」を語り示すことで、内容についての具体的なイメージを抱かせる透明な言葉遣いが現代では好まれているのだ。

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