谷川嘉浩 異世界系ウェブ小説と「透明な言葉」の時代
時代劇としての「異世界もの」
異世界ものについて考える上で、その物語の典型的な流れ、つまり「お約束」を確認することにしたい。文学研究者の大橋崇行(たかゆき)の論考「『異世界モノ』ライトノベルが、現代の『時代劇』と言えるワケ」(「現代ビジネス」)を私なりに補ってパラフレーズすれば、異世界ものは、以下のような類型を共有している。
①主人公が死亡して生まれ変わる、魔術などによって召喚される、現実と異世界を行き来する方法を発見するなど、何らかの形で中世風のファンタジー的異世界に舞台が移る。
②異世界に移った後でも、移行前の記憶や知識、現代世界の能力やモノなどを引き継いでいる。あるいは、異世界に移るときなどに、特筆すべき能力・財産・身分・容姿などを得る。
③「②」を活用して、異世界に住む人々(の一部)に有用・稀有な人物として認められ、その世界で活躍する。「②」ゆえ、能力獲得のために努力せずに済むか、努力が効率よく実を結ぶか、努力の過程をものともしない状態にある。
④「①~③」の結果、主人公は強い信頼で結び付いた卓抜な仲間を持つか、支えを得ることができ、異世界の人々(の一部)にちやほやされる、または生きがいを感じる。
大橋の指摘が興味深く、正しいのは、読者がこうした流れを約束事として共有した上で、作品間の差異を楽しんでいる、と彼が考えるからだ。時代劇で描かれる江戸時代は考証の甘い想像に基づくものであり、無数のお約束から成る一種の異世界であることを思えば、異世界ものに熱狂する姿勢は、時代劇を鑑賞する姿勢と似ている。
時代劇を見る人の大半が、パターン化された江戸時代を共有した上で、展開や設定、カメラワークなどの妙を味わっているのと同じように、異世界ものの読者は、作品ごとの演出や展開の差異、つまり「趣向」を楽しんでいるのである(大塚英志『定本 物語消費論』)。
このことを踏まえると、「どういう属性の何がどうなったか」という直接的な説明が前面にせり出している理由が見えてくる。コンテンツ(商品や作品)とのファーストコンタクトにおいて成分表(演出や展開の違い)を予め示すことで、類似物との違いを明示しつつ、内容についての具体的な想像を誘えるのだ。
一連の約束事を共有する鑑賞者にとって、キャラクターや設定、属性についての説明的な言葉遣いが表面に配置されること(=透明性)で、作品について具体的なイメージを持ち、その作品の魅力を効果的に理解することができる。象徴的なアイテムや地名、人物の名前を表面に掲げられたところで、内容に関する具体的な想像は導かれない。コンテンツの持つ透明性は、内容に関する細かなイメージを効率的かつ効果的に喚起するための最適化の一つだと言える。
1990年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学、観光学など。京都大学大学院人間・環境学研究科人文学連携研究員、近畿大学非常勤講師ほか。単著に『信仰と想像力の哲学』、共著に『メディア・コンテンツ・スタディーズ』『フューチャー・デザインと哲学』『ゆるレポ』などがある。