谷川嘉浩 異世界系ウェブ小説と「透明な言葉」の時代

谷川嘉浩(京都市立芸術大学特任講師)

純文学とウェブ小説のネーミング

 この話の延長で具体的な作品を取り上げ、現代における大衆小説として細部を論じることも十分知的に面白いのだが、今回は、異世界系コンテンツの言葉遣いに注目し、その際立った特徴を形式的に論じることにしたい。

 何よりもまずタイトルが目を誘う。『転スラ』も『はめふら』も、その題名は特殊な雰囲気を持っている。夏目漱石の『吾輩は猫である』は文章的で比較的長いタイトルの作品だと言ってよいと思われるが、異世界ものでよく見る題名と比べると少し印象が違う。

 この印象の差異をより詳しく知るには、漱石が『吾輩は猫である』という本は出版しても、『元捨て猫で名前はないけど超賢いので人間社会を批評しちゃいます』という本は出版しなかったことに注目すればいい。ここからわかるのは、異世界ものの題名は、長さとは別の特殊性を持つということだ。漱石のオーソドックスな題名と比べて、『元捨て猫で......』にぎょっとさせられるのだとすれば、異世界ものは不思議な進化を遂げているのかもしれない(余談だが、『吾輩は猫であるが犬』という転生漫画がある)。

 しかしそれは「下らん」と切って捨てられる変化ではない。サブカルチャー(大衆小説)にはハイカルチャー(純文学)とは違う前衛性があり、私たちの思考を先取りする形で、先鋭的な特徴が結晶しているからだ。従ってこの文章では、現代のヒット作品と目立った社会的事象を結ぶことで、一つの星座を描くことにしたい。キーワードは「透明性」である。

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