習近平が目指すのは「家業」の永続と「覇業」の実現――台湾有事を防ぐ要訣とは

鈴木 隆(大東文化大学東洋研究所教授)

政治的死生観と体制永続化をめぐるプーチンとの違い

 本稿の最後に、今日の世界を代表する二人の独裁者、習近平とプーチンの簡単な比較を行う。両者の歴史観や政治論、統治手法には共通点が多い。だが、両者の間には大きな違いもある。それは、政治的血統への自負と政治的死生観である。

 中国共産党の歴代の強権指導者にとって、死後の政治的名誉の剥奪は大きな懸念であった。毛沢東も鄧小平も、スターリン批判のような仕打ちを受けるのを恐れた。民主化やそれに伴う死後の名誉剥奪への不安を、江沢民はかつて「墓を暴かれる」との比喩で表現したことがある。1989年の天安門事件で武力弾圧を指示した鄧小平は、実際に墓を暴かれるのを恐れたせいか、レーニンや毛沢東のように霊廟に祀られるのを拒否し、遺言で火葬した自分の遺骨を海に散骨させた。

 一方、習近平には祖先崇拝の対象がある。父親の願いにより、故人の出身地である陝西省に地元政府の支援を受けて2005年に完成した習仲勲の陵墓である。これこそまさに、国家と個人が部分的に合一化したアイデンティティ感覚の証しといえよう。それゆえ習近平は、現世での自分と家族の安全、みずからの死後の名誉、さらには他の革命元勲には類をみない威容を誇るとされる家族の墓を守るためにも、既存の支配体制の維持・発展に努めなければならない。「紅二代」の血筋を誇る習にとって、「家業」としての一党支配の永続化は至上課題である。

 対して、一人支配のプーチンの究極的関心は、おそらくは自分と家族が無事に天寿を全うできればそれでよし、なのだ。習近平のように先輩指導者からあずかった支配のバトンを、次代・次々代の後継者たちにも着実に受け渡していくことではない。そうであるがゆえに、ウクライナとの戦闘で現在までに死者だけで約25万人という膨大な数の犠牲者をうみだしていることにも、ためらいがない。

 習近平はそうはいかない。台湾海峡での武力紛争で敵味方を問わず何万人もの死傷者がでれば、習近平個人の権力と権威の失墜はもちろん、体制全体の動揺を招くであろう。大規模な人的・物的被害が予想される軍事侵攻への心理的ハードルは、プーチンよりもはるかに高い。台湾有事防止の要訣とは、この「家業」と「覇業」の矛盾を衝いて、習近平の政治的リスク評価に直接・間接に働きかけることにほかならない。習近平が追求する複数の政治目標とその優先順位を的確に見極め、政治的損益計算に基づく紛争の先延ばしと、そのための積極的な時間稼ぎの方法を実行することが肝要である。(2025年11月26日脱稿)


(『中央公論』2026年1月号では、この他にも習近平の一強体制を支える基盤、側近の軍高官を追放する理由、4期目に向けた思惑、その裏に潜むリスクなどについて論じている。)

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鈴木 隆(大東文化大学東洋研究所教授)
〔すずきたかし〕
1973年静岡県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程中退。博士(法学)。専門は政治学、中国政治。日本国際問題研究所研究員、愛知県立大学外国語学部准教授などを経て現職。著書に『中国共産党の支配と権力』『習近平研究』(第37回アジア・太平洋賞大賞)など。
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