AIグラビアアイドルの何が問題だったのか?「顔だけ」「演技だけ」「声だけ」俳優が誕生する日は近い
大きな流れ
先日、高名なオーディオ・ビジュアル評論家・麻倉怜士氏の自宅で、名画「雨に唄えば」を鑑賞する機会を得た。
無声映画からトーキー、つまり音声付き映画へと進化する過程での出来事を描いた作品で、見た目は良いが歌が下手な売れっ子女優に、歌が得意でも売れていなかった女優が、吹き替えで声をあてたことで大成功する...というストーリーだ。
映画公開当時では意外性のあるストーリーだったかもしれないが、歌うシーンだけ人が入れ替わるといった「吹き替え」は、現代では当然のように行われている。
生成AIの登場で、今後は、ルックスは良くても表現が苦手な俳優の「演技」だけを代替する、いわば特撮ドラマのスーツアクター的な仕事が生まれたり、美声だが演技が上手くはない俳優がアニメ作品に「声」だけ提供する、といった機会が出てくるかもしれない。
つまり、ある人間の個性を発揮しながら、AIを介在することで、その人物を大勢の人物が支える。そんな状況が生まれる可能性は高い。
俳優や各界の著名人などは、プライバシーの問題を度々取り沙汰されてきた。
「有名税」といった言葉で権利がないがしろにされていた部分もあるが、それは良くも悪くも、映像媒体が普及したことで、世の中に顔が広く知られているからだ。
しかし今では自家醸造のAIを使い、あるタレントの顔に、複数の人物の顔を同時に学習させることで、世の中に存在しない人物を作り出すことができる。
それにより、元になったタレント当人は人気を博しながらも本来の顔を知られることなく、変装せずに街へでて、今よりも青春や恋愛を謳歌できるようになるのかもしれない。
最近ではAIを用いた動画生成が可能になってきた。それこそ年内には、AIの力を借りて作られた本格的な映像作品が我々の目の前に登場するのではないだろうか。
とにかく、目の前の課題だけにとらわれてしまうと、生まれてくるはずのメリットや、大きな流れを見失ってしまうかもしれない。今はそういう時代なのだ。
清水亮
もの言わぬ機械とコミュニケーションをとる手段「プログラミング」。その歴史から簡単な作成、生活に役立つテクニックなどを網羅し、たった一冊でプログラマーの思考法を手に入れることを可能としたのが『教養としてのプログラミング講座』だ。「もはやそれは誰もが学ぶべき教養」というメッセージを掲げたロングセラーをこのたび増補。ジョブズにゲイツ、現代の成功者はどんな世界を見ている?