書籍を知る場としての"新聞広告"
新聞広告の"視点"
『応仁の乱』が発売されたころから現在まで、広告のキャッチやデザインを担当しているブランド・プロモーション部の名倉副部長によれば、「商品を売るためには第三者の視点が必要」とのこと。かつて中央公論新社から出る広告の文言は編集部が考えていましたが、2016年ごろからブランド・プロモーション部の前身である宣伝部が主導してキャッチを考えるようになりました。
担当編集者は作品の内容を社内のだれよりも把握しています。一見すると、そちらの方がいいコピーを考えることが出来そうですが、本を「買わせる」ためには書籍を「商品として」扱う視点も必要です。時には「ランキングで一位をとった」など本の内容とは関係のない、わかりやすい指標が求められることもあります。編集者は作品に寄り添い、宣伝担当はそれよりも一歩引いた立場で商品を売る文句を考えるという役割分担が、より良い広告が生まれる理由の一つと言えます。
どのような広告が読者に刺さるのかというのは、その時々で移り変わっていくため、流行を抑えた内容であるか、というのも重要なことです。新聞広告にも流行り廃りがあり、他社の広告を見て参考にしたり、逆に少し外して自社の商品を目立たせたり、というようなこともしているそう。そのほかにも鋏で切り取りやすいように、わざと周りの縁にくっきりと線を入れたり、イラストを入れてメリハリをつけたりするなどの工夫があります。
SNS全盛のこの時代においても、新聞広告はこれからも重要な役割を占めていくでしょう。これから新聞を開いた際には、そこに載っている広告にどんな戦略があるのか、考えてみるのも楽しいかもしれません。
呉座 勇一
室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七~七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。
戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか――。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。