八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」①

小林秀雄の戦争と平和
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

八月十五日の「驚愕と狼狽」

「文学とは何か、文学者とはどういうものか、戦争中自問自答のような形で、明け暮れ僕の胸にあったのは、この一事であった。心中固く信ずるところがあり、少しも動かなかったと、自分では思っていたが、思いもかけぬ敗戦となり、郷里の家で休戦の御大詔の玉音に接した時の驚愕と狼狽を思い出すと、やはりそれは自分で信じていた程確乎としたものではなかった。それまで頑張って書きつづけていた筆が、瘧でも落ちたように動かなくなり、頭が呆け、約三月の間文字通り茫然と過した。戦争が済んでせいせいした、というような具合にはとてもゆかなかった。戦争中は折角自信を持ち、堅く信念も保持しながら、戦争が終るとふらふらぐらつき出したのはどういうわけかと、自分ながら訝しくもあり、また意気地なくも思うのだが、どうにもならなかった。爾後この自問自答的な思いは依然として僕の中に残り、今もなお重苦しく僕を緊めつけている。(略)が、ただ一つ、確かなことがある。それは、この胸の重みを取り去っては、僕には文学を考えることが出来ないということだ」

 北原は八月十五日に「驚愕と狼狽」を覚えた。林房雄の文章に続き、また長々と引用してみたのは、この引用部分が、北原の小林宛ての失われた手紙に書かれていた文面を想像させるからだ。三ヶ月間を茫然と過した北原に比べると、小林の「希望と勇気」、「仕事の計画」は溌溂としている。小林の手紙で語られる政治不信、ジャーナリズム批判は、小林の読者にとっては耳慣れている。「偽革命」「偽転向」「楽し気な反省」と、あいつらの手の内はわかっているぞと言わんばかりである。折りから、マッカーサー元帥の厚木到着を控えて、日本軍の暴発を警戒する飛行機はやかましく、日本の空を遊弋ゆうよくしている。

なお、『中央公論』6月号で「昭和二十年の小林秀雄」と題して、本連載(1~3回)の縮約版が先行公開されています。

※次回は610日に配信予定です。

中央公論 2025年6月号
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平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
雑文家
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。
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