八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」①
玉音放送のマイクの声
小林が手紙の中で触れている「国体護持」については、島木の通夜の席でも議論が沸騰していた。軍部の一部はいまだに徹底抗戦を叫ぶが一理あるや否や。徹底抗戦か、
「玉音を拝して、まず何よりも驚き、何よりも喜ばしかったのは、陛下の御声があくまで若々しく、朗々として光と力に満ち、悲痛をたたえて、しかも悲痛を超えた、自信にあふれていたことである。/陛下の御口を通して承ると、あのむずかしい文字と語法にみちた詔勅文章が、あたかも日常会話のように平易に明瞭に、まっすぐに、何の注釈の必要もなく、私の胸をたたき、心にしみこんだ。拝聴している間に、私の心の雲は晴れ、絶望の底から新しい力の泉が湧き、今日この瞬間から、いかなる苦難にも堪えて生きぬいてみせるぜという自信がみなぎって来た。(略)御詔勅は、この戦乱の十年間に、私共が忘れ果てていた多くの貴重なるものを、再び思い出させて下さった」(林「戦後の履歴書」『林房雄著作集』第二巻に所収)
長めに引用してみたのは、小林が手紙の中で書いた「国体護持の観念はマイクを通つた玉音の中に生きてゐた」という感想や、「僕等の詩魂のうちに生きてゐる信仰」といったものを考える手がかりになり得ると感じたからだ。玉音放送から八十年もの時間がたってしまうと、想像するのが難しい感慨である。私などはテレビから、あの甲高く、緊張し切った声が流れてくると、この声の主は周囲の誰とも普通の会話を経験したことがないのでは、といった愚にもつかぬ感想を持つ程度だ。北原武夫は「文学という運命について」(「新潮」昭和21・6、『文学の宿命』『北原武夫文学全集』第四巻に所収)では、小林や林房雄とはまた違う玉音放送の聞き方をしたと書いている。