平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 男装はエロからグロへ

第十四回 男装はエロからグロへ
平山亜佐子

男装姿のブロマイド発売から、『男装従軍記』出版

 興味深いことに、美那子は満洲人や軍部の人間にたびたび川島芳子と間違えられる。
 というのも、川島芳子がよく着ていた乗馬服に身を包んでいたため。動きやすい服装として選んだだけだったが、奉天の憲兵隊司令部で川島芳子と紛らわしい服装や言動は慎むこと、と注意された。
 美那子はその後、従軍記者としての仕事の傍ら諜報員として活動し、半年後に一旦東京に戻る。
 しかし五・一五事件の翌朝、つまり1932(昭和7)年5月16日朝にいきなり刑事に踏み込まれ、四谷署に連行、23日間も拘束された。
 後からわかったことは、五・一五事件に参加した将校が美那子のブロマイドを持っていたため、事件に関係があると睨まれたらしい。このときと同じものかどうかはわからないが、ネットで検索すると一枚のブロマイドが出てくる。
 黒いハットを斜めにかぶり、ワイシャツにネクタイに黒いジャケット、腰から下は切れていて見えないが、男物のネクタイをしているので下はズボンではないだろうか。
 美那子は男装姿のブロマイドが売られるほど、有名になっていたのだ。
 拘束から解かれた後は陸軍省新聞班に満洲時代の報告書を送り、これらをまとめて『男装従軍記』(日本評論社)として出版。取材を受けたり映画に出たりと引っ張りだこになった。
 本の箱には、毛皮の耳当てがついた飛行帽をかぶり、同じく毛皮の襟のついたレザー製フライトジャケットを着た美那子の写真があしらわれている。
 まるで男装アイドルである。
 アイデンティティに密接に結びついた従来型の男装も以前あったものの、ファッションとしての男装が、メディアを通して広がっていったことを感じさせる。

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