平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 男装はエロからグロへ
「からだのある一部をのぞいては男性不在の者」
同じ頃、見逃せない記事が読売新聞に出た。
1933(昭和8)年2月20日付読売新聞夕刊の「日曜演芸」欄の「変態生活を営む俳優の舞台と家庭 男が女に 女が男に」という記事だ。
尾上多賀之丞〈おのえたがのじょう〉、曾我廼家桃蝶〈そがのやももちょう〉、中村歌扇〈なかむらかせん〉、市川松蔦〈いちかわしょうちょう〉、河原崎国太郎〈かわらさきくにたろう〉の5人の俳優が異性の役を演じるときの心構えや普段の生活について語っており、5人中4人が女形の男性俳優で、中村歌扇だけが唯一、男役を演じる(こともある)女性俳優である。
中村歌扇は本名は青江久、1889(明治22)年生まれで11歳で初舞台を踏んでいる。1901(明治34)年に浅草美園座で人気女優となった後、1916(大正5)年には神田劇場の座頭となり、歌舞伎や新派劇などで活躍した。
記事の時点で歌扇は芸歴33年だが、「揚げ幕がチャリッと鳴ると同時に、男の気持ちに変わります」と語り、男性でいるのはあくまで舞台上のみという立場だ。逆に、女形の曾我廼家桃蝶などは「舞台に出たからと云って、女になろうという気持ちはありません、平常から女ですワ」と話している。「桃蝶さんは万事この調子で話します。今年三十七歳ですが桃蝶さんにいわせたら定めし年増盛りとでもいいましょう」とは記者の弁。
記事のなかで桃蝶は「私女のようでも、男の方の方が好きッて訳はないのよ」と語っているが、引退間際の1966(昭和41)年に出版した自伝『芸に生き、愛に生き』には同性との恋愛が赤裸々に記されている。「人は、先天的に、私のように生まれついた、どこにも、からだのある一部をのぞいては男性不在の者に向かって、偽りでもいい、ごま化しでもいい、女を愛さなければいけないのだ、と命じる権利を持つでしょうか」とも書き、大っぴらにできない同性愛者の苦悩がひしひしと迫ってくる。