エイプリル・フール、「戦艦大和」の吉田満に会う(一)
期せずして一致した小林と吉川の推薦文
「ひどい時代を通って、おたがいは生きているが、よく自らの生命の主人となっている者が幾人あるか。そんなはずはないとみな思うだろう。それほどにうかつでも生きていられるという事なのである。/その中で、この著者の鮮明な生命を私は祝福する。この著者の生命を価値の高い光に私は見る。また私たちの低い生命観につよい根柢と慈しみを与える。過去将来を通じ、人間が人間を考える一資料として貴重である。筆者のゆたかな生命は、何よりもその体験を書くについても正直であるのが高い」
この吉川の推薦文と小林の推薦文は、「サロン」の同じ誌面に並んで掲載されている。吉川が「その体験を書くについても正直であるのが高い」と書き、続く小林のタイトルが「正直な戦争経験談」である。期せずして「正直」で一致している。吉田満にとって、吉川と小林はいわば「戦艦大和の最期」の担当編輯者である。新人作家ならば縮み上がってしまう豪華なコンビだ。吉川は原稿を「依頼」した編輯者、小林は原稿を「発表」「公開」しようと動いた編輯者であった。「国民作家」吉川英治と「教祖」小林秀雄とではあまり関係はなさそうに見える。その二人が期せずして、吉田満の「大和」を推したのだった。吉川英治が亡くなった時、小林は弔辞を捧げている。あまり知られていないので、ここで引用するが、小林自身、意外な取合せと認めて、弔辞は始まる。文語文だ。
「吉川先生ト私トハ文学表現ノ方法ヲ著シク異ニシタリ。/私元ヨリ先生ノ著作ニ通暁セズ。先生モ亦無味乾燥ノ吾ガ議論ノ如キニ興味ヲ持タレタリトハ思ハズ。/サレド、多年親交ノ間、屢々先生日常ノ言行ノ、深ク吾ガ心ヲ動カスヲ知リ、又、時トシテ吾ガ偶言ノ先生ノ内ニ通ズルアルヲ喜ビタリ。/カクシテ、師弟入魂ノ情、自ラ成ルヲ観念シテ以来、尊敬ノ念ヲ去リタルコトナシ」(「吉川さんの葬儀場にて」「週刊文春」昭和37・9・24)
小林の弔辞に倣えば、「師」吉川英治の発見した「初夜の花嫁」の如き眸を、「弟子」の小林秀雄が磨きをかける、という順番になった。林房雄によれば、吉川英治は戦前に小林達の編輯する「文學界」に資金を援助してくれていた(林「吉川さんと「文學界」」『吉川英治とわたし』に所収)。
※次回は1月26日に配信予定です。
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。