八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」(下)
【連載第三回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
大晦日の来訪者
小谷正一は井上靖の芥川賞受賞作「闘牛」の主人公のモデルとされる。広告業界では超のつく有名人で、評伝もいくつかあるが、小林との関係は書かれていない。小谷は昭和二十一年春に創刊される毎日の夕刊紙「新大阪」で辣腕をふるう。小林がこの時期、「新大阪」で原稿を書き、対談し、講演「私の人生観」を行なったのは小谷正一がいたからだった。東京ではなく大阪のメディアを選んでいるのは、井伏鱒二への手紙にあったジャアナリズムからの「疎開」の実行だろうか。夕刊「新大阪」は戦後の小林に、「創元」「文體」と並ぶ、数少ない発表舞台を提供していく。
日本にとって激動だったこの年も、ようやく終わろうとしていた大晦日に、小林家に二人の来客があった。「近代文学」同人の平野謙と本多秋五で、用件は座談会出席の依頼だった。本多は『物語戦後文学史』に書いている。
「小林秀雄は「ほかの人なら引受けないが、平野君がきてくれたから。」と簡単に出席を承諾した。平野は小林秀雄と血縁であった」
小林の母と平野の母が従姉妹同士だったのだ。平野と本多は、おそらく前日発売になったばかりの「近代文学」の創刊号を持参していたろう。そこでは左翼の代表的文芸評論家・蔵原惟人が同人七人からインタビューを受けていた。この二回目でお願いします、と平野は言ったのではないか。
座談会は一月十二日に開かれる。
なお、『中央公論』6月号で「昭和二十年の小林秀雄」と題して、本連載(1~3回)の縮約版が先行公開されています。
※次回は7月10日に配信予定です。
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八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」(下)

八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」(中)

八月十五日以後、小林秀雄の「沈黙」と「戦後第一声」(上)
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
雑文家
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。
1952年東京都生まれ。慶應義塾大学国文科卒業。出版社で雑誌、書籍の編集に長年携わる。著書に『江藤淳は甦える』(小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(司馬遼太郎賞)、『小津安二郎』(大佛次郎賞)、『昭和天皇「よもの海」の謎』、『戦争画リターンズ――藤田嗣治とアッツ島の花々』、『昭和史百冊』がある。