「新夕刊」創刊と、謎の社長「高源重吉」との関係(下)

【連載第八回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

謎多き社長・高源重吉の実像は

 児玉機関の中で、小林がつき合ったのは第一に高源重吉であった。高源がいかなる人物か。まとまった記録はなさそうだ。『人事興信録 第17版』(昭和28)には、「高源重吉」の名がある。肩書は東京稀有金属(株)社長。富山県出身だが、生年は書かれていない。学歴も「実業学校英語学校に学び」とすこぶる曖昧で、昭和九年(一九三四)新聞「大日本」主幹から経歴が始まる。上海特務機関、維新政府綏靖部顧問、海軍航空本部嘱託を経て、昭和二十年に新夕刊新聞社長となっている。趣味は囲碁、刀剣とある。戦前の『全支商工取引総覧 昭和十六年度版』では、「華成公司」の代表者として名が見える。資本金五万円の会社で、上海に本社、杭州に支店があり、奥地取引、一般雑貨、棉花、茶、木炭を扱う。「奥地土産品の取引に専念、土着邦華商を相手に堅実な営業を続けている」とあり、華々しく儲かる仕事ではなさそうだ。

 高源重吉のエピソードらしいエピソードは、敗戦直後に一つ語られるだけといっていい。それは敗戦秘録としても劇的であり、アクション映画にしたら手に汗握る名シーンができそうだ。ノンフィクション作家の岩川隆の『日本の地下人脈――戦後をつくった陰の男たち』の第二章は「上海人脈と児玉誉士夫」である。岩川は取材で広島を訪れる。取材相手は『消えぬ夢』の編者・岩田幸雄だ。岩田のオフィスには、「海軍航空本部長・海軍中将・戸塚道太郎」が昭和二十年一月一日に「海軍航空本部嘱託・岩田幸雄」に与えた「感謝状」が掲げられている。

「右者 昭和十六年十二月初頭 本部ノ命ヲ承け 中支那ニ於テ児玉機関ヲ創設 爾来 凡ユル困難ヲ克服シ 軍需物資 特ニ航空関係ノ重要資材ヲ調達運搬セル功績ハ多大ノモノアリ 依テソノ功ヲ賞シコノ状ヲ下ス」

戦争をやるには物資がまず必要になる。陸軍と海軍との間には物資の激しい奪い合いがあり、海軍の中でまた、艦隊畑と航空畑での奪い合いがあった。「児玉機関」は新興勢力である海軍航空本部からの物資調達要請に基づいて大々的に調達した。資金は豊富にあった。児玉は外務省の河相達夫、白鳥敏夫、岩井英一、海軍の山県正郷、大西瀧治郎、陸軍の石原莞爾、辻政信などから支持をもらい、急成長できた。

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