「新夕刊」創刊と、謎の社長「高源重吉」との関係(下)

【連載第八回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

アクション映画の名シーンのような物資輸送・脱出劇

春名幹男の『秘密のファイル――CIAの対日工作』によれば、GHQCIC(防諜部隊)が入手した児玉機関の資産内容は、四百四十七億円という巨大なもので、繰越金だけでも十五億円あった。発足時の資金が百五十万円だから、いかに急成長したか。児玉が蓄積した資産は三十五億円と見積もられた。この児玉機関の残存資金の一部が鳩山一郎の自由党結成に際して使われることになる。敗戦時も、児玉機関の財産は中国大陸に莫大にあったはずだが、そのうち日本に持ち帰れる物は、日本に運ばれた。岩田幸雄が岩川隆に語った話で、ここに高源が登場する。

「終戦八月十五日の前日に、私は、朝日新聞社の飛行機を使って、めぼしい物資だけを内地に送った。児玉機関からは高源重吉(最高幹部の一人)が同乗した。指揮官は志村参謀(海軍中佐)だったと思う。なぜ朝日新聞社の社機を選んだかといえば、終戦と同時に軍用機は使えなくなり、朝日新聞社の飛行機の胴っ腹には緑の十字が描かれてあるのでそれだけが〝救いの神〟という気持であった。むしろ離陸するまでが心配だった。あちらでは金条という金の延べ棒、プラチナ、ダイヤモンド、ヒスイなど、軽くてしかも値のはるものを選んで載せたのだが、なにしろ積み込みすぎて飛行機が浮きあがるかどうかが問題だ。高源重吉などは〝車輪が折れる〟とわめいていた。......それらが戦後の政党結成資金になろうとは、夢にも思わなかった」

ロッキード事件でフィクサーとして注目された児玉誉士夫に関する本はたくさんあるが、高源重吉は意外と登場しない。児玉誉士夫はたくさんの本を出版したが、そこにも「高源重吉」は出てこない。反対に、必ずといってよいくらい高源重吉が登場するのがこの場面なのだ。財産を持ち帰るという重要な役割を任せられる、信用度の高い人物だったということか。

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