単行本『無常といふ事』がやっと出る(四)

【連載第十四回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

加筆部分に込められた痛切な思い

六篇目の「実朝」は単行本『無常といふ事』のクライマックスだが、改稿は「西行」に比べると少ないので、改稿のいちいちの穿鑿(せんさく)はしない。単行本化にあたっての改稿の中心は「西行」だったと思われる。「死手の山」の和歌を詞書と一緒に付け加えることが、「沈黙」「緘黙」を続けていると見られていた小林の実践していた加筆改稿だった。「黙って」処した国民の、途方もなく大量の死を「あはれなることの様かな」とひっそりと弔う。ここに小林の言葉は一切ないが、それだけに小林の痛切な思いがあるのではないか。

「死手の山」の和歌を引用して西行を論じている本か資料があるかどうか。網羅的に調べたわけではない。わすかな範囲ではあるが、手持ちのものを点検をしてみた。そうすると、ひとつだけ発見できた。「死手の山」の詞書と和歌を引用して、その論考はエンディング部分にいたる。「こは何事の争ひぞや、あはれなることの様かな、というのは西行の本心であったろう」と。『荒地詩集1957』に発表された吉本隆明の「西行小論」である。この昭和三十二年(一九五七)当時、吉本は『文学者の戦争責任』や『高村光太郎』で、自他の戦争体験を思想的な課題とし追いつめていた。

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