戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(上)
【連載第九回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
コメディ・リテレールの中の「政治嫌い」
「コメディ・リテレール」は「近代文学」に掲載された時には、読みやすいように適宜小見出しがついていた。編集部で付けたのだろう。「小説の衰弱」「職業の秘密」「歴史感覚について」「言語の文学的責任」「伝統について」「自由と必然」「戦争と孤独感」などといったように。その中の一つの小見出しに「政治嫌い」がある。小林はこんなことを喋っている。
「これからの文化の危機は、そこ[美を理解しない人間たち]にあるような気がします。文化の極端な政治化が現われる。既に現われている。政治家が文化の指導者面をしますよ。政治を談じないと馬鹿みたようなことになりますよ。芸術家の政治的無関心、そんなことを言われるのが恐いからせいぜい政治的関心を示す。そんな連中が一ぱい出て来ますよ。しかし、僕は御免だ。僕は政治が嫌いです。政治家にはなれない。これは大事なことだと思います。政治家という一種の人間のタイプがあるのだ。政治の形式がどう変ろうが、政治家という人間のタイプは変りはしない。僕はそう信じています。だから、そういう人間のタイプが変らぬ以上、どんな政治形式が現われようと、そんな形式なぞに驚かぬ。面白くもない。この人間のタイプは昔から何一つ創り出したことはない。美しい詩も深い思想も、有用の道具もそういうものを創り出すに必要な長い観察も、工夫も、労働も、彼は知らない。不思議な人間のタイプです。常に管理したり、支配したりしているんです。デモクラシイ政治になっても、その点、同じことです」