戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(上)

【連載第九回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

繰り返し語られる「政治嫌い」

 翌年の「ランボオの問題」(「展望」昭和223)でも、「政治家」は「詩人」と対比されている。「進歩的と自称する政治思想、人間的と自称する小説形式、歴史や認識の運動の解明者と自称する講壇哲学、そういうものが寄ってたかって、真正な詩人の追放の為に協力している」。ランボオを論じながら、場違いな一節が紛れ込んでいる。

 小林の私信での戦後「第一声」として、昭和二十年八月二十七日付けの北原武夫宛ての手紙を紹介するところから本連載は始まった。あの北原宛ての文面を思い出して欲しい。あそこでも「政治嫌い」は語られていた。そこでは「政治嫌い」ではなく「政治不信者」だが。

「僕等の詩魂のうちに生きてゐる信仰に比べれば現実の政治形態の如きは架空の国に過ぎぬのではあるまいか 小生はいよ/\政治不信者たる事に専念するだらう 日本のジャアナリスムは又同じ事を繰り返すだらう 曰く新文化政策 偽革命 偽転向 楽し気な反省 軍備を撤パイしたら(ついで)に政治も撤廃してほしい位のものだ」

 以上、「政治嫌ひ」を初紹介した。もっと早く紹介しなければいけなかったのだが、その存在さえ、つい先日まで知らなかったので、お許し願いたい。「新夕刊」については、かつて国会図書館の新聞資料室で、小林秀雄時代の二年間を読もうと志したことがある。ところが、豈に図らんや、国会図書館では不揃いを通り越しての欠号だらけで、がっくり挫折した。今回、あらためて見たのだが、創刊号さえなかった。紙面に小林の痕跡はほとんどなさそうだった。やはり小林秀雄は、児玉誉士夫-高源重吉系の「新夕刊」に関わっていることを隠したいのか、とヘンな納得をしたりしていた。大間違いだった。創刊号に、堂々と執筆していたのだ。

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