戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(上)
「政治嫌いの一国民」の「黙々たる抵抗」
小林は戦後の風潮に対して、「黙々たる抵抗」を試みる「政治嫌ひ」として、「新夕刊」の創刊を祝った。小林の書く「政治家」という人種には、政治家のみならず、官僚、軍人、知識人や「亜インテリ」(丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」)、さらにはジャーナリストも含まれていよう。「近代文学」座談会では、小林の「政治家」像を別の方向からも語っている。
「あるがままの人生に対する畏敬の念、これは宗教家にも詩人にもあるのですが、政治家にはありません。(略)ただ政治嫌いというものも、健全な文化にはなくてはならぬものだということが言いたいのです。改革論者とか進歩主義者とかいうものは伝統なんかいっそ何にもない処で、仕事がしたいようなことを常に言っているものだ。その実、伝統がない処では何事も出来はしないのだね。ほんとうの芸術家というものは、皆伝統を愛しているものです」
小林の中では「政治嫌い」は「詩人」とか「芸術家」として具体的にイメージされている。急速に進められる戦後改革の数々に「政治嫌い」は疑念を示し、黙々と伝統の側に立とうとしている。「政治嫌ひの黙々たる抵抗」は、「近代文学」座談会の有名なセリフ「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない」に対応しているだろう。自身の戦中の言行を「政治的には無智な一国民」であったと言うのは、その自らを免罪しているわけではあるまい。「政治嫌いの一国民」の「黙々たる抵抗」も、そこには含まれている。「政治嫌ひ」を読み、「近代文学」座談会を読み直すと、小林の発言からはそうした含意を感じる。「旧式政治」の政治家たちは、国民の「黙々」をしっかり受けとめず、国を破滅に導いた。「新式政治」の政治家たちも、「黙々」不感症という点では「旧式政治」の連中と変わりない。小林は二つながら批判する。それが「政治嫌ひ」ではないか。