戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(下)
【連載第十回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
新人発掘を兼ねた「掌編小説」募集
「短編の名手」永井龍男の企画と思えるのが、「掌編小説」の掲載である。一回読み切りは新聞という媒体に向いている。永井は文藝春秋社時代には、芥川賞と直木賞の事務方をずっとつとめていた。「掌編小説」募集は、新人発掘も兼ねていたのではないか。水上勉は『わが読書・一期一会』で、お互いにデビュー以前だった文学仲間の梅崎春生の「新夕刊」にまつわるエピソードを回想している。
「[梅崎さんは]朝から、酒を呑んで、[水上の家のある]神田のあたりをぶらぶらしていた。/「これをとうとう売ることにした」/と梅崎さんが大事そうに抱えてきた風呂敷包みをあけると、『梶井基次郎全集』だった。作品社からのもので、愛蔵してきたことが本の肌をみてわかった。梅崎さんは蔵書を売っては喰いつなぐ、いや呑みつないでいた。売るものが無くなると、/「あしたの『新夕刊』をみてくれ」/といった。翌日、駅へいって立売りの「新夕刊」を買ってみたが、梅崎さんの原稿はのっていなかった。しかし、暗くなるころやってきて、/「どうだ......よんだか」/と梅崎さんはきいた。/「コントだよ......一等当選だ」/その稿料をもらってきたのだろうか、すでに酒気をおびていた」
「新夕刊」の「目録」には梅崎春生の名はない。筆名での投稿だったのだろう。これは梅崎が「桜島」でデビューする前の逸話である。