戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(下)
旧「文學界」同人が集った座談会
座談会の企画では、菊池寛が出席した「春の競馬を語る」、渋沢秀雄や菊田一夫が出席した「米映画を語る座談会」、獅子文六や中原淳一が出席した「ユーモア作家と米映画放談会」などがある。小林が出席した「文学座談会」(昭和22・9・10~17、全七回)は他には、舟橋聖一、亀井勝一郎、林房雄が出席した。いずれも旧「文學界」同人の仲間だ。ここでも林が司会役で、小林の映画演劇話、つまり「都新聞」的な話題を引き出そうとしている。ややこしい話はしていない。小林が戦後になって見た映画は、チャップリンの「ゴールド・ラッシュ」とイングリッド・バーグマン主演の「ガス燈」の二本だけで、話が弾まない。
「フイルムに映つた人間の影と本当の人間、これはたいへんな違ひですよ。ぢかに役者を眺めるところに生ずる一種のアンチミテ、親密性だね。それはどうしようもないものだよ。それが芝居の生命だ。この生命が映画にはない。(略)娯楽だつて君、いかにパツシーヴなものであるとは言へ、楽しむつていふことは一種の創造でもあるからね」
続いて美術、歌舞伎、新劇に話はひろがる。いくつかを拾い出しておこう。
「例へば宗達の画を見てゐると、あの変哲もない画のなかに僕らがとても考へることのできない深い喜びや幸福があるやうな気がして来る[。]その深さが量り知れないやうに思はれて来る。これは宗達自身の知らなかつたことだよ[。]あれはただの職人さ、それだけのことさ。だが僕らのやうな乱世の詰らねえ世の中に生れた奴が、そんな夢を見ることもまた楽しいことだよ、それだけのこつた」
「僕が[歌舞伎を]よく見たのは高等学校時代だが。(略)皆が今にも、歌舞伎が亡びるやうなことを言つてましたよ。ところがなかなかどうして、歌舞伎には近代劇に抗し得る力があるんだな。それは歌舞伎の造形美と、音楽美といふものだけでは考へられぬやつぱり古典文学の美だね。近松門左衛門が抱いた一つの熱烈なる観念の美だよ。その文学観念を、近代劇が凌駕し得ないんだよ。これが僕は根本だと思ふんだ。封建主義的形式の中から普遍的な人間が現はれてくるのだな。その烈しさとか、純粋さとか確か[さ]とかいふものが、近代の文学には到底つかめぬものがある。尤もこれは、文学形式や思想形式に眼がくらんでゐる人々にはつかみ難いものだ」
「だけども、僕は今の新劇運動には非常に希望があると思つてる。それが今阻まれてるのは、根本は金の問題だと思つてるよ。(略)もつとまじめな新劇運動がまた必ず起りますよ。かつて来たんだからね。万太郎だとか、真船豊なんていふのはもつとまじめにモノを考へてますよ。(略)川口[松太郎]といふ人は何はともあれ、芝居つていふものをよく知つた職人ですよ。かういふ職人が絶えたらダメですよ。職人のない処に芝居はない」