戦後初原稿「政治嫌ひ」が「新夕刊」創刊号を飾る(下)

【連載第十回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

戦争の時代と切り離せない思索

「近代文学」での「放言」は、一年後の「新春随想」では、正月らしくもない、緊張を持続させた苦渋の言葉となり、我を撃ち、他を撃っている。「私の人生観」はもとが講演で、口語体で語っているために柔和な語りになっていた。話柄もその後で「観法」の話にと接続する。「新春随想」では、先ほどの引用から、戦争の話へとつながる。小林の「我が事」が戦争の時代と切り離せない思索であることを伝える。

「僕は、この戦争で、生死の(わかれ)をさまよつた青年諸君の話を聞くごとに、かう言ふのを常とする『ぼんやりしてゐたら忘れて了ふよ。忘れるのはずい分早いものだよ。経験を尊敬するのには難かしい努力が要る』こんな事を言ひ乍ら僕は独りで考へる。何も彼も奪はれて、残つたものは自分の命だけだ、その命も今日は無くなるかも知れぬ、どんな意見も立場も思想も、はや何の頼みにもならぬ、どんなに沢山の青年達が、獣になることなく、真面目な人間としてさういふ経験をした事だらう[、]彼等がもしそれを忘れなければ、当来の文化の為に大した事である。実に大した事である、忘れて、あれこれの出来合の新思想と取替へようと急がなければ」

 生死の境をさまよった末に生き延びた青年たちに小林はやさしい。「獣になることなく」というフレーズに小林の最大限の同情と期待を感じる。その青年たちの将来への一抹の危惧も。以下の結論部分は、いつもの小林秀雄らしくない。小林らしさからの逸脱を感じさせる。

「日本の多数の青年達が、命をかける行為の極意をつかむ機会を、戦争を通じて得ねばならなかつたとは、不幸な事であつた。しかもその戦争が為政者達の奇怪な政治的過失に由来したとは、まことに日本の悲劇であつた。過失は改めるがよい。だが青年達が味つたものは、かくかくの政治的経験といふ様なものではない。裸の我が身一つにふりかかつた悲劇的体験である。それは改めるとか改めないとかいふ筋のものではない。それは不当に軽べつしない限り今も尚死なず、体験者の心の裡に持続し、明日の糧となるべきものだ[。]『我事に於て後悔せず』この言葉はどんな立場からも又人を目当にも云つてはならぬのである。だから武蔵は『独行道』を、辞世でもあり自戒でもあると言つた。(十二月廿九日)」

 ここでも「政治」はキーワードになっている。青年達の戦争は「政治的経験」ではない。「悲劇的体験」である。それに対して、為政者はどうか。「その戦争が為政者達の奇怪な政治的過失に由来した」と書かれる。「過失」によってふりかかった「悲劇」。「近代文学」座談会では、「この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ」と述べた小林だが、それは「為政者達」を免罪したわけではなかった。この「為政者達」の「奇怪な政治的過失」を告発するという形で、それが露顕する。小林のふだんはあまり言わないことが、ここに現われてはいないか。

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