単行本『無常といふ事』がやっと出る(一)
【連載第十一回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)
強く当たる当局の風向き
その河上が新潮社版『小林秀雄全集』の解説で、吉田健一証言を補足している。小林の「戦争と平和」(「文學界」昭和17・3)がこんどは問題視される。「形容が不謹慎で態度が遊戯的だといって、当局の風向は強く当った」。ここからが第二段階だ。河上は長編エッセイ『有愁日記』(新潮社、昭和45)の「歴史」という章で再び証言している。
「一方小林は、同じ開戦ニュースの感動を真珠湾攻撃の新聞写真にことよせて、有名な美文で書いている。/空は美しく晴れ、藍色の海の面に白い水脈を曳いて、魚雷が行く。/無言の感動に満ちた名文だが、情報局は態度が不謹慎だと非難した。それから小林は『無常といふ事』に集められた短文数篇の外には戦争中殆んど書かなかった。人々は彼が弾圧の下に古典に沈潜して、戦争にそっぽを向き、沈黙した、といった。飛んでもないことだ。彼は全力を挙げて戦争に「参加」したのである。/その宣言が同じ題名の「無常といふ事」[「文學界」昭和17・6]という数枚のエッセイである。ここに彼の覚悟のすべてがある。(略)戦争の御蔭で小林は死者の世界に仮初の仲間入りが出来た。つまり人間の「形」になれたのだ。これは抑圧されて動きがとれなくなったことではない。反対に全力を挙げて自由に生きねば出来ぬことなのだ」