単行本『無常といふ事』がやっと出る(一)

【連載第十一回】
平山周吉(ひらやま・しゅうきち)

ひっそりと刊行された『無常といふ事』

創元社の社史といえる大谷晃一『ある出版人の肖像――矢部良策と創元社』には、わずかながら『無常といふ事』刊行の記述がある。

「東京都日本橋区小舟町二ノ四に、東京[支社]の社屋を借りた。現、中央区日本橋小舟町。焼け残った古い商家風の、木造二階建てである。戦災のあと、ようやく落ち着く。三越本店にも近いのだが、あたりはまだ焼け跡が多い。(略)インフレが狂乱の様相である。その[二月]十七日に、それを抑えるべく金融緊急措置令が発動された。旧円は封鎖され、新円しか使えなくなる。/小林秀雄の『無常といふ事』を二十五日に東京から発行した。小林はこのときゲラ刷りにかなり手を加えた。(略)[本社のある]大阪で三月二十日に、山口誓子の『子規諸文』を出す。戦前戦中と少しも変わらない調子で[創元社は]再出発をする」

「小林はこのときゲラ刷りにかなり手を加えた」というのは貴重な情報で、初出のテキストと単行本のテキストを後ほど比較するが、いまは後回しにする。社史に書かれている山口誓子『子規諸文』の初版は奥付に七千部とある。『無常といふ事』の二倍以上の刷り部数である。『無常といふ事』発売の前日、二月二十四日の東京朝日新聞に創元社の広告が載った。そこに掲載されているのは、新刊の『子規諸文』と戦前に刊行された『曙光――ニイチェ選集第四巻』、モース『日本その日/\』の重版で、いずれも予定価が書かれていて、市場には出回っていない本だ。小さな広告スペースなので三冊だけである。タイミングとしては、『子規諸文』と『無常といふ事』の二冊が並ぶのが自然と思えるが、『無常といふ事』は売れ筋ではないと非情にも判断されたのか。そんなことはあるまい。翌月(321)の同じ欄では、創元選書の三木清『人生論ノート』、柳田國男の『雪国の春』という二冊のロングセラーが広告されていて、『無常といふ事』はここにもない。「★人生論ノートは発売直前焼失の為目下再製版中に就き四月上旬出来」と注記されているのには、時代を感じさせる。広告欄を見る限り、『無常といふ事』はひっそりと出版されている。

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